初志貫徹と変化、どちらが正しい?

いきなりですが、ここで問題を出したいと思います。
2つの選択肢(A,B)があり、最初にAを選択しようと決めたとします。
それが正解である確率は、もちろん半々、50%ですね。

では、一度Aと決めたあと、「ファイナル・アンサー」でもう一度考え直して、Bに変えたとします。この場合Bが正解である確率はどうでしょうか?

言うまでもなく、これも50%ですね。A、Bどちらを選ぼうが、最初に心に決めたことを貫いても、あるいは変更しても同じというのが、確率の世界の「常識」。

ところが、取り巻く環境が変化した場合、この確率は変わるのでしょうか?それとも変わらないのでしょうか?
AとBの関係(そのどちらか1つが正解という状況)は変わらないものの、その周りの環境が変わる場合です。現実社会では、こういった状況のほうがありそうですね。

具体的に言うと、今度はまずA、B、Cという3つの選択肢があると考えます。
あなたは最初にAを選択したとします。そのあといろいろ調査してみたら、Cは正しくないことが判明しました。正解はAかBのどちらかにある。つまり上で述べた最初の状況に戻った形です。
状況(AとBから選ぶ)は最初と変わりませんが、Cの判明という周りの環境の変化が加わったのがこのケースと言えますね。

この場合、やはりAのまま「初志貫徹」するか、Bに変更するか、あなたはどうしますか?

おそらく「Aを選ぼうがBを選ぼうが変わらない」と考えたのではないでしょうか?
この場合も、結局変えようが変えまいが確率は50%に見えます。だから選択を変えても、当たる確率が上がるとは思えない。

そしておそらく、多くの人が「選択を変えない」決断をするのではないでしょうか。「迷ったら最初の勘を信じる」あるいは「一度組織で決めたことに理由もなく変更はしづらい」という心理が働くからです。

ところが実際は、変えたほうが正解の確率は高くなります。

数学(確率論)で本能寺の変の謎を解く

垣根涼介氏の「光秀の定理」そして「信長の原理」は、この確率論で「本能寺の変」の謎解きに挑戦した歴史小説です。

大河ドラマ「麒麟がくる」も2月7日の最終回を前に大詰めですが、この「本能寺の変」は戦国時代のターニングポイントとして、多くの小説やドラマなどで描かれてきたのはご存知のとおりです。

中でも「明智光秀はなぜ織田信長を裏切ったのか?」という謎については、様々な陰謀説(「豊臣秀吉陰謀説」「徳川家康陰謀説」「朝廷陰謀説」)や、信長が多くの人の前で光秀を侮辱したことへの恨みなど諸説あるものの、どれも決定打に欠け、そのため多くの歴史家や小説家の格好の題材となっています。

例えば、鯨統一郎氏の小説「邪馬台国はどこですか?」(創元推理文庫)では、信長本人が光秀に命じて討たせたという「信長自殺説」が語られていますが、これが変に(?)説得力があって、個人的には面白いと思いました。(この本では他にも、誰にも予想もつかない「邪馬台国の正しい場所」を解き明かしたりしていて、歴史の謎に興味ある方はぜひご覧ください。)

本能寺の変の謎では、多くの人が光秀や信長の「心理」を推測したり、あるいは秀吉や家康の持つ天下の野望の観点から謎を紐解こうとしていたりします。しかし数百年も前の人の本当の心理を知るすべはないので、推測を重ねることしかできません。

そうした中、「確率論」から光秀や信長の行動原理を解き明かして、そこから「本能寺の変」に結びつけるという大胆な仮説のもと書かれたのが、この「光秀の定理」「信長の原理」です。

光秀はその初陣で、「戦略変更」により大勝利を収め、そこから信長によって引き立てられて、家臣一の出世頭となります。その後も多くの戦いで勝利を続けました。

そして、1582年6月2日の運命の日、光秀は直前まで迷い、一時は「信長を討たない」ことに決めます。しかしその前日に状況が変化して「信長を討たざるを得なくなり」、最初の決断を変えるのです。

光秀は賭けに勝ち、織田家を事実上滅ぼしました。しかし秀吉の予想を超える対応(中国大返し)の前に大敗、わずか10日あまりの天下でした。

光秀にこの「変化の定理」を教えた坊主の愚息(架空の人物)は、そのことを後に仲間と述懐します。

「15代将軍の義昭然り十兵衛(光秀)然り・・・・歴史の表舞台で、その生き様の初志を貫徹しようとする者は、多くの場合滅ぶということよ。信長とて例外ではない。自分が蒔いた時代の変化に、自らが足をすくわれた。生き方を変えられぬものは、生き残れぬ。」
「何故じゃ」
「簡単なことじゃ。4つの椀(選択肢)が2つになったときに、その初手の選択が変わるように、世の中も変わっていく。ぬし(自分)が変わらなくても、ぬし以外の世の中は変わっていく。やがてその生き様は時代の条件に合わなくなり、ごく自然に消滅する。
じゃから変節した秀吉(や家康)は生き延びた。だからと言って彼らの生き様がいいとは思わんがの。」

変化する環境の中では、初めの意思決定を変えないと生き残れない。数学(確率論)もそのように証明している。これは、まるで戦国時代のように激変している現在にも通じる考え方なのかもしれません。

モンティ・ホール問題の考え方

この「環境が変わったときは変化したほうが、正解の確率が高くなる」というのは、これを紹介したゲーム番組の司会の名前をとって、「モンティ・ホール問題」と呼ばれています。
この問題は数学界を巻き込んだ論争になったことで有名ですが、その答えは、変えなかった正解の確率は1/3、変えた方の正解の確率は2/3というものです。

なぜそうなるのか?

A、B、C3つからAを選んだ場合の正解の確率は1/3です。そしてBとCいずれかの正解の確率は2/3。
ここで、Cが不正解であることが判明する。

そうすると私たちは、AとB2つの間でどちらかが正解なので、1/2に正解率が上昇すると考えがちですが、正解の場所が変わったわけではないので、Aが正解の確率は変わらず1/3のままなのです。BかCの確率も2/3のまま。そして、Cが不正解と判明してもそこは変わらない。
だからAの確率は1/3、Bに変えたほうが正解になる確率は2/3と、1.5倍も正解率が上昇します。

この説明で、もしもわからない場合は、選択肢の数を10、あるいは100、1000と多くして考えてみてください。1000の場合でもAのままにした場合、正解の確率が1/2とは考えずらいですよね?

一方の、この本能寺の変の原因を信長側から見て書いたのが、「信長の原理」です。

ここでは確率論の「2・6・2」の原理が語られています。
2.6・2の原理とは、どんな集団においても、率先して戦うものが2割、大勢に従うものが6割、そしてサボったり裏切ったりと、意にそぐわないものが2割という比率になるという法則です。働きアリの法則としてご存じの方も多いと思います。

子供の頃アリの働き方を観察してその事に気づいた信長は、実力主義の采配を行い、出自や身分にこだわらず、秀吉や光秀のような実力のある将をどんどん取り立てます。そしてサボったり裏切りそうな2割をどんどん切り捨てていきます。

家柄などにとらわれず組織を実力主義にして、有能な人材を増やして、全員が率先して戦う集団にすれば、数字的には5倍の相手でも対等に戦えるはず。
そう考えた信長はますます実力主義に徹した人事を行います。

しかし不思議なことに、そうやって上位2割の有能な人材を取り立てて、やる気の見えない人材は切り捨てても、実際の戦闘ではやはり率先して働くのは2割。

反対に、自分を裏切りそうな2割を切り捨てても、残った8割の中からまた2割は裏切る。そして最後は最も信頼を寄せていた光秀に裏切られる。信長はその原理(つまり2・8・2の法則)の本当の理由に、本能寺の炎の中で気がつく。

世の中には復元する力(恒常性維持)があり、ある特定の生物(人間)だけをこの世に突出させない。もとに戻ろうという力が働く。変化は決して一方向に働かないのです。

変化(変わろうとする力)と恒常性(復元する力)、この宇宙を支配する2つの定理・原理についてこの2冊を読みながらぜひ考えてみてください。