日本の凋落は「ブレークスルー・イノベーションの不在」

VUCAと言われる今のビジネスシーンにおいて、「イノベーション」の必要性はますます高まっていますよね。

イノベーションについては、クリステンセンの「持続的イノベーション」「破壊的イノベーション」という分類や既存の製品やサービスの改善や改良のための改善型イノベーション、そしてブレークスルー型のイノベーションという分け方などがあります。

日本が得意なのは、「持続的イノベーション」「改善型イノベーション」ですね。
20世紀後半、「Japan As No.1」と言われ、世界中で、家電製品や自動車、半導体など日本製品が溢れていました。
日本の製品は高性能の上、壊れにくいと評判で、これは当時の日本企業の絶え間のない努力に因る「持続的イノベーション」「改善型イノベーション」の成果です。

世界の人達は日本(製品)に憧れるとともに、日本に世界を支配されるのではないかと恐れの感情を懐いていました。
日米貿易摩擦が勃発し、デトロイトでは職を失われた労働者たちがデモで日本車を叩き壊すシーンが世界に配信されました。

もうひとつ象徴的なのは、1989年に公開された「バックトゥー・ザ・フューチャー2」です。この映画では2015年の未来の姿が描かれているのですが、マイケル・J・フォックス演じる未来の主人公の上司は、「イトウ・フジツウ」という日本人で、基幹産業が日本企業となっているのが示唆されていました。

1989年の世界情勢では、そんな未来が来てもおかしくないと思われていたのでしょう。

しかし実際の2015年そして2023年の現在はそんな姿からは遠く、海外で日本製品を見ることも少なくなり、それまで日本が世界を席巻していた電機製品や半導体などは韓国や台湾、中国などの後塵を拝しています。

世界は「日本(企業)による支配」ではなく、いずれも米国企業の「GAFAMによる支配」という言葉が言われるようになりました。

現在、豊かさの指標となる日本の一人あたりのGDPは欧米の半分強です。これは最近海外(欧米)に行った人は実感できるのではないでしょうか。

なぜ日本がここまで「凋落」してしまったのか。

この失われた30年と言われている間も、日本企業も日本人も懸命に働いてきました。
業務の中にITを取り入れ、脱炭素社会への対応についても、世界一省エネ機能に優れた製品を作り続けてきました。
このような個々の頑張りがなぜ日本全体の「国の力」につながっていないのか。

日本が「凋落」した理由は簡単で、1990年代以降、インターネットやAIの普及、そして脱炭素社会という社会の変化(Transformation)の中では必須の「破壊的イノベーション」「ブレークスルー型イノベーション」が日本ではほとんど起らなかったからです。

日本が得意な「持続的イノベーション」「改善型イノベーション」は、性能を上げるとか、形状をコンパクトにするなど与えられた目標があって、その目標に向けてこれも日本が得意なPDCAを回していけば、その目標に近づけていくことができました。

しかしこれは「未来が予見できる」から可能なのであって、現在のようにVUCA(Volatility:変動性、Uncertainty:不確実性、Complexity:複雑性、Ambiguity:曖昧性)と言われる状況では、そもそも「与えられた目標」など存在しませんし、PDCAは却ってP(目標)の固定化を招いて、外部環境の変化に取り残されてしまう。

そのような状況下で2010年頃から注目されたのが「デザイン思考」そして最近の「アート思考」です。
 
 

 
  

ブレークスルー・イノベーションに欠かせないデザイン思考とアート思考の違いとは

「デザイン思考」と「アート思考」どちらもイノベーションに欠かせない思考法と言われています。両者の間にはどのような違いがあるのでしょうか。

米国で最高の芸術大学と言われるロードアイランド・スクール・オブ・デザイン(RISD)元学長のジョン・マエダはデザインとアートの違いについて、

Design is a solution to a problem. Art is a question to a problem.
(デザインは課題解決の手法であり、アートは課題を提起するものである。)

と述べています。またダブリンシティ大学のピーター・ロビンスは、アート思考について「Art Thinking spends much more time in the problem space: it is not customer-centred; it is breakthrough-oriented. 」(アート思考はすぐに顧客の解決手段に向かう「顧客中心志向」ではなく、「課題空間」により長く留まって革新を行う「ブレークスルー志向」である。)と論文に書いています。

両者の違いは、「デザイナー」と「アーティスト」の違いを考えるとわかりやすいかもしれませんが、その「視点」の違いが最も根本にあります。

デザイン思考は「顧客の視点」ですので、顧客が望むこと、その欲求や要望などを取り込みます。表面的な要望だけでなく、顧客自身も気づいていない深い欲求にいかに気づくかという視点が大事です。

一方のアート思考は「自分視点」です。自身の内面の欲求、本当にやりたいこと、自分の生き方など自分自身を掘り下げ、作品(製品やサービス)を創っていくものです。そうやって創ったものに、顧客や社会から「共感」してもらう。これがアートの視点です。
このように両者の本質を考えると、それぞれの特徴、そして欠点も見えてきます。

デザイン思考は、顧客の欲求や要望を取り込みやすい反面、なかなか深いところまで立ち入るのは容易ではありません。

ヘンリー・フォードの有名な言葉に「もし顧客に、彼らの望むものを聞いていたら、彼らは『もっと速い馬車が欲しい』と答えていただろう。」というのがありますね。

このようなケースでデザイン思考を援用すると、「馬車がもっと速く走る為にはどうすればよいか」となりがちです。「品種改良で速く走る馬を育てる」とか「馬車を軽くする工夫をする」といったアイデアがでるのではないでしょうか。(これは「持続的イノベーション」「改善型イノベーション」ですね。)

いくら顧客の思いを深いところまで観察しても、「車という内燃機関を利用する」というアイデアはなかなか出て来ないと思います。

アート思考では、自分の内面を掘り下げたり、その問題自身を掘り下げます。

実現可能性とか顧客の要望とかをいったん横において、SF作家が空想するように、「馬よりももっと速い乗り物を創りたい」といった「こんなものを創りたい」「こんな世界を創りたい」といった、自分の内面から出る欲求がその源にあります。

だから「ブレークスルー」に繋がりやすい反面、創ったものがまったく世の中に受け入れられない、ということも珍しくありません。

例えばポスト印象派の大家であるゴッホのように、生きているときは全く評価されず、死後になってから高い評価を受けるということもあります。あるいは生前も死後もまったく埋もれたままというケースだって、残念ながら少なくはないでしょう。

満を持した製品やサービスが、当たらないこともよくあります。

つまり、デザイン思考だけ、アート思考だけではそれぞれ不完全で、両者を統合して考える必要があるのではないかと私は考えます。

日本能率協会のセミナーでは「アート思考」「デザイン思考」の講座をそれぞれ行っていますが、他に、これに社会的視点のシステム思考を加えた「アート思考/デザイン思考/システム思考:3つの思考法」講座を行っています。

これは単に3つの思考法を並列的に学ぶのではなく、3つの思考法を融合、つまりそれぞれの視点から物事を捉え、イノベーションにつなげる講座です。


日本能率協会主催「DX時代に求められる「3つの思考法」入門セミナー」開催