先が読めないVUCA時代あるいはカオスの時代とも言われる中、イノベーションや新しいビジネスのための方法論に熱い視線が寄せられています。
その中のひとつが、数日間のサイクルで新たなビジネスデザインやイノベーションを生む手法である「デザインスプリント」です。
デザインスプリントは、デザイン思考とアジャイル開発(スクラム)をベースにして、アイデア開発及びプロトタイピングと振り返りを高速で繰り返します。
「デザイン思考ワークショップ」の問題点
ご存知のように、デザイン思考はイノベーションや新製品開発に役立つ「思考法」として、多くの企業や教育機関などの組織で活用されてきました。
そしてIDEOのフレームワークなどを基にした「デザイン思考ワークショップ」も今も各地で行われています。
ただ、ワークショップが盛んになると「デザイン思考のワークショップをしさえすれば、イノベーションや新製品開発ができるようになる。」という誤解も多く見られるようになりました。
そしてその誤解の反動として「デザイン思考をやってもイノベーションや新製品は生み出せない」という意見も見られるようになってきています。
どうしてこのようなことが起きているかと言うと、「デザイン思考」はあくまで「思考法」であるのに、ワークショップで教えているのはプロセスやメソッド(手法)であることにあります。
その点はデザイン思考ワークショップでも強調していた筈ですが、ワークショップの粗製乱造もあって、ポストイットの使い方やブレインストーミングのやり方を始めとする手法を教えたり覚えたりすることが「デザイン思考ができる=イノベーションや新製品が生み出せる」というような誤解も拡がってしまいました。
デザイン思考とリーンやアジャイル開発の精神
デザイン思考は、リーンスタートアップやアジャイル開発と同じマインドセットがその背後にあります。IDEOのケリー兄弟やティム・ブラウンの著書でも、プロトタイプを何度も何度も開発チームやクライアントともに創り続けるのが大事であると書かれています。(実際IDEOはそのようにして様々な新製品やイノベーティブなデザインを生み出してきました。)
これを基にしたのが「IDEOフレームワーク」であり「デザイン思考ワークショップ」なのですが、上記のように「手法のワークショップ」となり形骸化してしまえばもはや効果はありません。(実際デザイン思考ワークショップから画期的な新商品が生まれた事例はほとんどないとも言われています。)
そこで、個々のプロセスや手法にこだわるのではなく、アジャイルやリーンのプロトタイプを何度も高速で繰り返す方法論に注目して創り出されたのが「デザインスプリント」です。
デザインスプリントとは
「デザインスプリント」は、「デザイン」思考とアジャイル開発のフレームワークであるスクラムのタイムボックスを表す「スプリント」を繋げて創られました。
したがって、その考え方や基本的なやり方は「スクラム」とほぼ同一です。
ウォーターフォール開発とアジャイル開発
デザインスプリントは、2007年ごろにGV (以前のGoogle Ventures)でJake Knappを中心にJohn ZeratskyとBraden Kowitzが関わって開発されたとされていますが、これはルーツの一つに過ぎません。
上述の「スクラム」やアーバンデザイン(まちづくり)の分野で拡がっていた「デザイン・シャレット」、「デジタルプロダクトデザイン」などがデザインスプリントの考え方のベースにあります。
数日から数週間のサイクルでユーザー調査からアイデア出し、プロトタイピング、テストまでのサイクルを一通り行うのがデザインスプリントの根幹であり本質です。
GVによるデザインスプリントのフレームワークでは、次の5つのプロセスが推奨されています。
1.Map(地図を作る)
2.Sketch(スケッチする)
3.Decide(決定する)
4.Prototype(プロトタイプをつくる)
5.Test(検証する)
最初がUnderstand(理解する)、2番目をDiverge(発散する)とする解説書もありますが、「用語の違い」にはあまりこだわる必要はないと思います。
そもそもデザインスプリントのプロセスも、デザイン思考のプロセスで有名なIDEOのフレームワークと基本的な違いは無いからです。
IDEOのデザイン思考フレームワーク
デザインスプリント導入で大切なこと
このように、デザイン思考とデザインスプリントのプロセスを比べてみても、両者の違いはほとんど無いことがわかると思います。
デザインスプリントで指摘されるのが、その「高速性」ですが、体験された方ならご存知のように、デザイン思考のワークショップでも、1日から長くても数日間で「共感」から最後の「テスト」までを一通り行います。
また、デザインスプリントに関する記事の中には、デザイン思考は「ブレインストーミング」などチーム全体で行う作業が多く、デザインスプリントは「8アップ」(一人が8つのアイデアを考える手法)などの個人ワークが多いとか、デザインスプリントでは「ユーザージャーニーマップ」や「タスクストーリー」など、ユーザーやクライアントの課題解決中心であるなどと書かれているのもあります。
しかし実際の開発では、必要性や状況に応じて最適な手法やメソッドが選ばれます。デザインスプリントでも「ブレインストーミング」が必要な状況であれば、もちろんそれを使いますし、デザイン思考でも「ブレインストーミング」だけでなく様々なチームや個人のワーク手法があります。
Jake Knappの本のまえがきで、ブレインストーミングなどのグループワークより、個人ワークのほうが効果が高かったという趣旨のことが書いてあり、ここから「デザインスプリントはアンチ・ブレインストーミング」である、という書評もみられます。ブレインストーミングのようなグループワークと個人ワークどちらが効果があるのかは、例えば学術論文でも複数の意見がみられますが、そもそも「デザイン思考=ブレインストーミング」という事自体が、前述したように誤解の産物です。 |
つまり、デザイン思考のワークショップもデザインスプリントも、そのプロセス自体を見ても、また実際にやっているところを外から眺めてみても「全く変わらない」のです。
したがって「デザイン思考ワークショップに参加したけどあまり効果が実感できなかったので、デザインスプリントに変える」とか「とりあえずデザインスプリントのワークショップをやってみよう」などというのは、あまり意味のあることとは思えません。
どちらもやっている事自体は同じなのですから。
ではその違いはなにか、そしてデザインスプリントの導入で大切なことはなにかというと、業務と切り離した“研修”なのが「デザイン思考のワークショップ」なのに対し、デザイン思考のフレームワークを、業務つまり新製品やサービス、新規ビジネス開発等の業務プロセスに取り込んでいるのが「デザインスプリント」ということになります。
デザイン思考ワークショプとデザインスプリントの違い
デザインスプリントを開発プロセスに取り込む3つの方法
つまり、デザインスプリントを単体で捉えて考えれば、今までの「デザイン思考ワークショップ」とまったく同じです。「デザインスプリント体験記」の記事を読んでも、他に数多くある「デザイン思考ワークショップ体験記」と何が違うのかわからないのもそのためです。(だからブレインストーミングの有無などや個人ワークの多さなど手法の違いと勘違いする人も出てしまう。)
繰り返しになりますが、デザインスプリントで最も大事なことは、どのように実際の開発プロセスに取り込むかということです。具合的に言うと、デザインスプリントで創り上げたプロトタイプの検証から次をどう繋げていくのか、アイデアを進化させて開発や業務のプロセスに取り込んでいくのかを考えるのがデザインスプリントの真髄です。
なぜこの最も大切なことが書籍等であまり書かれていないかと言うと、Googleを始めとするシリコンバレーを中心とする米国企業では、スクラムを始めとするアジャイル開発、あるいは反復進化型開発(IID)は、製品開発部門はもちろん、最近ではマーケティングや組織開発など多くの部門や部署でも導入されており、デザインスプリントを新製品やサービス開発に取り込むのは自然にできるため、取り立てて言う必要がなかったからだと思います。
しかし、日本においては、アジャイル開発はソフトウェア開発部門以外あまり馴染みがなく、そのソフトウェアやシステムの開発部門でさえ、特に大企業ではまだウォーターフォールが主流であるため、「自然と」とはなかなか行かないのが実情です。
そこで、デザインスプリントを実際の新製品開発等の業務に反映させる、取り込むやり方を3つ述べたいと思います。
1.デザインスプリントを繰り返す。
上述したように、デザインスプリントのプロセスに従い5日間かけてプロトタイプをつくっても、それだけでは「デザイン思考ワークショップ体験」と何ら変わりません。最後の検証(テスト)の結果を基に、また次のスプリントを行い、プロセスを繰り返す。そうすることによりユーザーが本当に求めているものに近づけることができます。
LEGOブロックで知られるLEGO社は、2ヶ月間全ての生産工程をストップしてデザインスプリントに集中しました。その結果、今日見られる製品群を始めとする様々なアイデアを基に、会社を変革することに成功しました。
ブロック玩具というローテクな商品にも関わらず、他社の追随を許さないのは、商品のアイデアが優れているからなのは誰もが認めるところだと思いますが、そのきっかけの一つが、このデザインスプリントなのです。
但し、そのためには全社的な意思統一が必要であるため、長期間に渡って実施するのは普通の企業ではハードルは高いかもしれません。
2.要求定義プロセスでデザインスプリントを行う。
ウォーターフォール開発の弊害については、いろいろなところで述べられていますが、システム開発における日本独特の商習慣もあり、これをすぐに変えるのは難しいことかもしれません。
そこで、ウォーターフォールの要求定義のプロセスで、このデザインスプリントを採用することで、顧客からのフィードバックを製品設計に反映させ、手戻りを少なくすることができます。
あるいは開発途中であっても、顧客の考えと乖離が見られそうなときにこのデザインスプリントを実行するやり方もあります。
そのようにして、ウォーターフォールを採用しなければ行けない状況であっても、実質アジャイルに近づけることができ、最終的に顧客の要求と離れてしまう状況の改善に役立てることが可能です。
3.アジャイル開発(スクラム)のプロセスに繋げる。
デザインスプリントはスクラムのフレームワークから生まれた手法ですので、上述のように、ここからスムーズにスクラムのスプリントに繋げることができます。既にアジャイルを取り入れている企業は、このやり方が最も自然です。つまりアジャイル開発の最初のプロセスとしてデザインスプリントを行えば、イノベーティブ(革新的)で且つユーザーのニーズにあった新たな製品やサービスを開発することができるようになります。
またデザインスプリントをきっかけとして、社内にアジャイルを導入したり拡げたりできるようにもなるでしょう。つまり組織変革の一貫として、アジャイル経営への第一歩としてデザインスプリントに取り組むというのが、先の見えない環境の中でしなやかで俊敏(Agility)に動ける組織をつくり、イノベーションを生むことができる組織づくりに役立てると考えます。