2008年オーストラリアのテレビプロデューサーであるロンダ・バーンが出版した「ザ・シークレット」は日本を含む世界的なベストセラーになりました。彼女はこの本を足がかりに類似本やDVDを発売し、商業的成功を収めました。
この本の主張はただ一つ、「引き寄せの法則」です。

『過去の偉大な先人たちは、「引き寄せの法則」が宇宙で一番強力な法則だと教えています。
たとえば、ウィリアム・シェイクスピア、ロバート・ブラウニング、ウィリアム・ブレイクはそれを詩で表現しました。ベートーベンのような音楽家はそれを音楽にしました。レオナルド・ダビンチのような画家はそれを絵で表現しました。ソクラテス、プラトン、エマーソン、ピタゴラス・アイザック・ニュートン、ゲーテ、ビクトル・ユーゴーといった思想家たちは、彼らの書物や教えの中で、その考えを示しています。そして彼らの名前は、歴史上不滅のものとして何世紀も生き続けています。
ヒンズー教や仏教やユダヤ教、あるいはキリスト教やイスラム教と言った宗教や、バビロニア人とかエジプト人の文明や錬金術の伝統は、その「秘密」を書物や物語で伝えています』(『ザ・シークレット』ロンダ・バーン著 山川拡矢、山川亜希子、佐藤美代子 訳 角川書店)

これだけ世の中に知られているのなら、それは「秘密」でもなんでもないでしょう(笑)
引き寄せの法則は、学校の授業でも「法則」の一つとして教えられてもおかしくないはずですね。

しかしながら私自身は、ベートーベンがどの曲で「引き寄せの法則」を表現しているのか知りませんし、レオナルド・ダ・ビンチが引き寄せの法則が宇宙で一番強力であると、どの絵で語っているのかも知りません。

ニュートンは、万有引力の法則を発見しましたが、別に引力が宇宙で一番強力だとも言っていないわけです。もし引力が宇宙で最も強力なら、月は地球に落ち、地球は太陽に落ち込んで、宇宙は収縮して1つの点に集約されてしまうでしょう。(ビッククランチ)
実際は宇宙の拡がりは加速していて、お互い離れる力のほうが大きいというのが観測結果です。

何より彼らの名前が「引き寄せの法則」のお陰で不滅だったのは知りませんでした(笑)
私は、彼らが数々の名作を残したり、自然科学の法則を発見するといった偉業を残したから、歴史上不滅なのかと思っていました。

あとで触れる「量子力学の援用」にも見られますが、たしかになんでも無理やり「引き寄せて」いるのが、この本の成功理由といっていいのかもしれません。

宗教もあらゆる宗教が「引き寄せの法則」が宇宙で一番強力だと教えている、と上記では書かれていますが、実際には、そのような教義や教えがあるのは、キリスト教ニューソート派だけです。

ニューソートは、「イエス・キリストの神性の否定」「原罪の否定」で、カトリック、プロテスタントともキリスト教本流からは異端とみなされており、「願えば神はそのように動いてくれる」というのは、神を人間のしもべのように考える行為だと激しく批判しているのが実際のところでしょう。

異端キリスト教宗派教義の丸写し

キリスト教とあまり縁のない日本では、さほど意識されていませんが、この「ザ・シークレット」はニューソートの教義や思想をそのまま書いたのものです。ニューソートの布教家であったラルフ・ウォルドー・トラインの「幸せはあなたの心に」(1897年)や伝道師のチャールズ・ハーネルの「ザ・マスターキー」(1912年)、ニューソート派のディヴァイン・サイエンス教会の牧師ジョセフ・マーフィーが「眠りながら成功する」シリーズで、繰り返し書かれていたことと全く同じ内容です。

唯一この本の新しいところは、「引き寄せの法則」の理論的背景で、量子力学を持ち出しているところでしょう。
ただこのゆな最新物理学(つまり一般の人が原理をあまり理解できず不思議に思ってしまう最新理論)をその理論根拠に持ってくるのは、ニューソート本の定番で、「ザ・マスターキー」やこの本を参考にして書かれたナポレオン・ヒルの「思想は現実化する」は、磁力について書かrています。
1980年代に出版された「成功の翼ー忘れられた秘訣」の著者マイク・ハナーキーは、重力の方程式を「引き寄せの法則」に使いました。
マーフィーが「潜在意識は万能」と唱えたことも有名です。

そしてロンダ・バーンの「引き寄せの法則」に使われた量子力学。
私自身、量子力学をテーマにしたSF(「シュレーディンガーの宇宙」)を書いたので、意識と量子力学の関係は面白いと個人的には思っているのですが、それにしてもこの「ザ・シークレット」のこじつけはひどすぎるところがあります。

量子力学の誤った解釈

「波動と物質の二重性」や「量子重ね合わせ」など、私たちの現実社会では考えられないような現象が起きているのが「量子の世界」です。しかし量子の世界で起きていることは、「量子の世界だから」起きているのであって、それが現実の私たちの思想や行動に影響をおよぼすことはありません。
もちろん様々な学説や解釈があっていいと思いますし、私もSFのネタにしていますが、あたかも「これが真実である」と言い切るのは逆に不誠実です。私は量子力学の多世界解釈に興味がありますが、だからといって「パラレルワールドの存在が量子力学で証明された」などと言うのはおかしいと思うでしょう?

津波に巻き込まれたのは本人のせい?

中でもロンダ・バーンの「波」の解釈は目茶苦茶です。間違っているというより、「波」や「波動」について何も知らないのが明白。
水面で起こる「波」音波など音が伝わる「波」、そして量子力学で使われる「波動」。言葉は全部同じ「波」ですが、実際は原理も現象も全く異なるものです。
しかしながら私たちは何故か「波」とか「波動」と聞くと、何か美しいものをイメージして、思考停止してしまいます。
「宇宙は波動に満ちている」と言われると、宇宙空間にハーブの音色が満ち満ちているような。。

小説や詩の世界ならまったくいいのですが、それは現実とはあまりに異なった姿。

だから、ロンダ・バーンは、2006年に津波などの災害に見舞われるのは「その災害と周波数を同じくする」人だと語ったのです。
その2年前に起きた東南アジアの大津波で亡くなった25万人の人々、そして東日本大震災で亡くなった2万人の人たち、今なお故郷の福島から避難して帰れない人たちが、災害と周波数を同じくする人だとはどうしても思えません。