「夢の実現とはシステムである」とはどういうことでしょうか?
まわりの子供(子供でなくてもいいのですが)に「あなたの夢はなんですか?」と尋ねてみてください。
「野球選手になりたい」「アイドル歌手になりたい」「お菓子屋さんになりたい」「総理大臣になりたい」・・・・様々な答えが返ってくると思います。

これらは皆システムである。とはどういうことでしょうか?
「野球選手になりたい」を考えてみましょう。

例えば、野球がうまくなる。これは個人の技量の問題ですね。
毎日バッティングセンターに通ったりして練習を重ねれば、150kmの豪速球だってホームランにできる技術が身につくかもしれません。
でもこれだけでは野球選手とはいえませんね。
この人は「バッティング技術が上手な人」にすぎません。

野球選手になるためには、仲間を最低9名集めてチームを作り、対戦相手もつくって「試合」ができるようにする必要があります。
あるいは既存の野球チームにその技術をかわれて入るやりかたもあります(そのほうが一般的でしょう)。そのチームがプロ野球機構のチームであれば、あなたは晴れて「プロ野球選手」です。
このように、野球選手になるには、野球システムともいうべき社会システムを自分でつくる、あるいは既存の野球システムの中に組み込まれる必要があります。
「アイドル歌手」もそうですね。
歌がうまいとか、外見が可愛いとか、そういう要素はアイドル歌手にとって必要なものかもしれませんが、それを磨いたらいいというものでもなく、実際にアイドル歌手になるには、プロダクションに入るとか、レコード会社に認められるとか、既存の社会システムに組み込まれる必要があります。
しかも、単に事務所に所属してもだめで、アイドルは人気商売。消費者にCDなりライブチケットなりを買ってもらう。顧客をつかまないと、アイドルとはいえないわけです。
CDを売る。顧客(ファン)に買ってもらう。そういうシステムがひとりひとりのアイドルには必要です。毎年多くのアイドルが生まれますが、そのような「システムづくり」ができるのはごく一部と言われ、多くはすぐに消えてしまう。
「お菓子屋さん」も「総理大臣」も同じですね。

つまり「夢の実現」は、「『システム』をつくることができるかどうかにかかっている」と言えるのです。

もちろん「夢」は職業ばかりではないでしょう。もっと抽象的な「健康」「お金」「幸せ」を考えてみましょう。
健康問題も突き詰めれば、身体というシステムが上手く働いているのかどうかという問題ろ言えるでしょう。
身体というシステムがうまく働かない、異常がある。これを病気とよびます。
そしてこのシステム異常にはたいてい原因と結果がある。
例えば不摂生で、身体システムに無理をさせていたり、外部からの細菌、癌のように遺伝子になんらかのエラーが起きてしまうのが原因のときもある。
精神疾患も同様で、グレコリー・ベイトソンは、統合失調症の多くは、親等身近な人とのコミュニケーションがうまくいかないことで、脳のフィードバック機構に不調を起こすのが原因としています。(ダブルバインド理論)
つまり脳の仕組みというシステムと、親との関係性というシステムの二重の意味で、人間の精神の健康問題もシステムの問題といえます。

お金持ちになりたいというのも言うまでもなく社会システムの問題ですね。
お金持ちになるには、商売に成功するとか、会社などの組織の中で出世するという「自分の周りにお金が集まるシステム」をつくる必要がありますし、それが成功できれば「お金持ち」になれるのです。

「幸せ」も、「無人島で、一人で暮らすのが幸せ」というのでもない限り、周りの人間関係をうまく作れるかどうか、という問題に置き換えられるでしょう。
これも家族というシステム、友人関係や仕事関係というシステム、さらには地域社会や国家というシステムがうまく働いているかどうかが「幸せ」かどうかと言っても過言ではないと思います。
「無人島で、一人で暮らす」ことも、無人島という生態系システムの一員として快適暮らすという意味では、システムの問題ともいえますね。

以上のように「夢の実現」はシステムである。つまり、「夢が実現できるためのシステムをつくれるかどうか」で、夢が実現できるかどうかは決まります。

このための思考法が、「システム思考」です。
世の中の事象を「システム」として捉え、システムの問題点を探り解決策を見つける。あるいは必要なシステムを新たにつくる。

今まで、夢の実現とは、とにかく自分のスキルや技量を伸ばす。あるいは知識を身につけるしかないと考えられてきました。
そしてあとは、運を点に任せるしかない。
神頼みとか、宗教的手法(引き寄せの“法則”など)にすがるのもいいのですが、一番効果的な「システム思考」を身に着けない手はありません。