昨今STEMあるいはSTEM教育という言葉が盛んです。
STEMとは、Science(科学)・Technology(技術)・Engineering(工学)・Mathematics(数学)の頭文字を採ったもの。オバマ大統領が米国経済の復活、躍進のためその必要性を訴えたことが、広まるきっかけの一つとされています。

5月12日の日経新聞ではこのSTEM教育について取り上げられています。
最近発表されたソニーの決算では18年月期の営業利益は約5000億円で過去最高益に迫るとしていますが、これはGoogleの持株会社アルファベットの17年1~3月の四半期決算の純利益(約6000億円)にも及ばない数字ですし、アップルの現在の現預金は30兆円近くあり、これはソニーを5つ買収できる金額になります。
ソニーをはじめとする電機業界など日本の技術はかつて世界をリードしていましたが、今や米国のIT大手の足元にも及ばない状態です。
日経の記事では、日本でもSTEM教育を充実させる必要性を説いています。
実際日本においても学校でのプログラミング学習導入や、埼玉大学STEM教育研究センターの設立などSTEMがちょっとしたブームになっているようです。

しかし、いわゆる理系学科への進学者数が減っている、日本の「ものづくり」のためにももっと理数系教育を充実しなければいけないという話は、昔から言われていたと思います。
IOTやロボット、人工知能が私たちの身近になり、これらの技術の取り組みが、国力をも左右しかねないということで、今までの「理数系」という言葉が「STEM教育」に変わっただけとも言えなくありません。
たしかに、技術力は企業にとっても、もちろん国にとっても必要なものです。

かといって、日経新聞が主張するように、科学や技術、工学、数学の専門家が増えれば、日本にもGoogleのラリー・ページ、アップルのスティーブ・ジョブズのような人材が排出されるのでしょうか?
そしてかつて技術立国と言われ、電機、半導体をはじめとするITで世界をリードしていた日本が、失われた20年でその地位を失われ、中国や韓国の会社の後塵を拝すようになりました。
インフラ技術分野でも、プロジェクトで中国に負けることも増えました。それは価格競争で負けたのであって技術力ではまだ日本が勝っているという意見もありますが、少なくともそれほど差はない。高くても日本の圧倒的な技術力がほしいという状況ではないのは確かです。
数年前に追い抜かされたばかりのGDPが、今や日本の2倍の規模になっている事を考えても、今のままでは個々の技術力でも中国に追い抜かされる日が来るでしょう。

では、STEM教育で理系に進む学生を増やせば、このような状況を変えることができるのでしょうか?

まず日本の理系学生が減っているのは、高校生の文系進学希望が増えているから、というよりも少子化の影響が大きいことを忘れてはいけません。
今よりも理系に興味を持つ学生の比率が多くなったといって、理系分野で学ぶ学生の総数が増えることはありません。
現在の米国一流大学で学ぶ学生の多くは、中国人あるいはインド人と言われています。これらの国が豊かになるに連れ、もっとその人数は増えるでしょう。

日本がいくらか理系学生を増やしたところで、まさに焼け石に水です。

「問題は数ではなく質だ」という声もあると思います。
数は多くなくても、世界をリードする専門家をつくっていく。
もしそうであれば、日本の大学を世界最高レベルにしなければいけませんが、世界大学ランキング(2016-2017)はTOP50に東京大学(34位)と京都大学(37位)がどうにかランクインしている程度です。
東大、京大をハーバードやスタンフォード、MIT並にしようという動きも政策も聞かれません。今のままで理系進学者が多少増えたところで、単に「理工系の労働者」が増えるだけで終わってしまわないでしょうか?

そしてそこそこ優秀な日本の技術者が、中国やインドなど外国の会社のために働く。そんな構図はちょっと前には考えられませんでしたが、すでに実現している世界です。
90年代から2000年代、日本の電機企業は多くの技術者をリストラしました。そんな技術者たちを積極的に雇用したのが、サムスン、鴻海をはじめとする韓国・中国企業でした。
今やサムスンは日本の電機会社すべてを合わせた規模より大きくなり、コンピュータや家電は中国企業に売却され、シャープは鴻海の傘下企業となりました。
東芝は原発事業の失敗から解体されようとしています。その中でも有望な事業である半導体メモリ事業を売却しようとしていますが、手を上げているのは海外の会社ばかりです。
そんな日本の企業に、意欲を持って就職しようとする理系学生がどれだけいるのでしょうか?
個別企業の話だけなら、経営者が無能だったで済む話ですが、日本企業が軒並み同じような状況に陥っているところを見ると、これは経営者の資質、あるいは単に技術者が少ないという問題ではなく、構造的な問題、いいかえれば日本企業のシステムとしての問題であるといえるでしょう。
90年代の日本企業の失敗は、構造的な問題、システムとしての問題を、個々の能力あるいはやる気の問題だと、要素還元主義的に考えてしまったことにあります。
終身雇用制、年功序列という日本の企業システムが制度疲労を起こしていたことは事実ですが、それを個のレベルに落とし込んで、実力主義、能力主義を推進してもシステムが変わらないままでは、単なる対処療法にしかならず、様々な副作用がでてしまったのは当然のことです。

今のSTEM教育ブームにも、単に理系分野に強い人材を増やせば、日本は変わるのではないかという、要素還元的思考から抜けられないようであまり効果は期待できないと思います。
日本というシステム、企業というシステムを捉え、システムとしての問題点の把握と課題解決を図れる人材。そういうシステム思考ができ、なおかつ専門的な知識も併せ持つ人材。
そういう人材の育成こそがこれからの日本に大切なことではないでしょうか。