12月15日芸術思考学会の第11回芸術思考研究会が開催されました。
研究会のアジェンダは「実践 芸術思考 ~利他との関係」。東北芸術工科大学の学生を中心にホスピタルアートの実践や地域創生そして芸術思考を通じて変化した心の発達など、興味深い内容の発表が行われました。

また、テーマである「利他との関係」についても活発な議論が交わされました。
このあたりは、自分もいろいろ考えているテーマでもあるので、ここでいくつか私見を述べたいと思います。

利他とは何か

「利己」「利他」は日常でもよくつかわれる言葉です。利他主義(altruism)はフランスの社会学者オーギュスト・コントによって、利己主義(egoism)に対比される言葉として造られた造語です。
定義としては、「社会通念に照らして、困っている状況にあると判断される他者を援助する行動で、自分の利益を主な目的としない行動」をとる思考で、自分の利益よりも他人の利益を優先する考え方です。
一方の利己主義(egoism)は、自己の利益を重視し、他者の利益を軽視、無視する考え方となります。

「利他」の考え方、つまり「人間はどうして利他的な心を持つのか」に関しては様々な学説があります。心理的利己主義(psychological egoism)と称される立場からみれば、どのような分けあい、援助、あるいは犠牲であっても、そうした行為をする者は個人的満足(personal gratification)というかたちで本来的な報酬(intrinsic reward)を得るので、それらの行為は真の利他主義と認めることはできない、という考え方がなされます。また経済学でも、これと類似の議論がなされており、たとえ利他主義的に「行動」しても、その「動機」は利己主義的なものに帰着する、とされます。

これに対して、人間は文字通り利他主義的考えをもって行動をする、と理解する見解もあります。人間も動物(生物体)の一種であるから、他の動物と同様、種族保存のために自己犠牲をしてでも他の主体を助けて生存させる(つまり利他主義的行動をとる)という考え方です。(岡部 2014)

芸術思考とデザイン思考

芸術思考研究会の発表では、芸術思考には利他性が欠かせないとの考え方が強く打ち出されていました。芸術思考についての説明でも「社会に貢献しようという意思の下で、人が何かを作り出す時の思考」とされています。(Art in Life
「ホスピタルアート」あるいは「地域創生」といった社会的な目的のためのアートの活用などが発表でも述べられました。

一方で、「デザイン思考」も「人間中心デザイン」を謳っています。デザイン思考を広めたデザインファームのIDEOがデザインしたプロダクトの代表的なものとして、電気の通じない発展途上国の赤ちゃんのための保育器(電気の代わりにぬるま湯を入れる設計)や、子供たちのためのMRIなどが知られています。

また下記はそのデザイン思考のフレームワークである「5つのダイアモンド」です。
(1) 理解と共感(2)問題の定義(3)アイデア発想(4)プロトタイプ(5)テストで、これを何度も繰り返す。多くのアイデアを出し、素早く試して、アイデアの拡散と収束を繰り返すのがデザイン思考のプロセスです。
IDEOのティム・ブラウンCEOは、日本での講演で、なかでも問題の定義の重要性を指摘して、「リーダーはいかに的確な問いを立て、チームを正しい方向に導くかが求められる。正しい問いはまさにアート。何度もやってみなければならない」と話しています。

アート思考は利己的か?

このデザイン思考に対し、最近言われてきているのが「アート思考」です。デザイン思考が「人間中心」つまり外部的動機に基づくのに対して、内在的動機・自らの想い(アイデア・感情・信念・哲学)の表現に基づくのがアート思考になります。(Nobeoka et al 2016)

研究会発表の中では、この内在的動機を「利己的」とする見解もありましたが、内在的動機の中に「利他は含めない」とすると、利他的行動は内在的動機ではなく自らの欲求や想いを排除する自己犠牲的な行為ということになります。
これは、上で述べた利他主義の定義を後者の考え方とすれば成り立つようにも思えますが、利他的な想い(例えば地域や人類(あるいは“誰か”)の幸福への想い)で表現を行うアーティストの作品は「外部的動機」=デザイン思考ということにもなってしまい、ここには違和感があります。実際には多くのアート作品には「誰かへの想い」という利他的感情があると考えるほうが自然で、そうでなくては私たちがアート作品を見て共感したり感動したりすることはできないのではないでしょうか?

アート思考・芸術思考と発達理論

ここで一つ指摘しておきたいのは、アート思考や芸術思考と発達理論の関係性です。
芸術思考との関係でいえば、ハワード・ガードナーの多重知能理論があります。

発達段階理論の考え方の根底にあるのは、人は段階を経て成長進化するという考え方。その中で多重知能理論では、人間には「IQ」や「EQ」という単一の知能ではなく、「8つの知能」が備わっているとしており、言い換えれば誰にでも、どれかすぐれた知能が備わっているとされています。
8つの知能とは、「論理・数学的知能」「言語的知能」「運動感覚的知能」「音楽的知能」「空間的知能」「対人的知能」「博物学的知能」「内省的知能」です。
アートとの関連でいうと、「運動感覚的知能」(ダンス)、「音楽的知能」(音楽)、「空間的知能」(絵画や建築)などがあげられますが、アート思考では「内省的知能」(メタ認知)は最も重視される要素です(Jacobs 2018)。またニューヨーク近代美術館(MoMA)のフィリップ・ヤノウィンが開発した対話型鑑賞法(VTS)では、「論理的知能」や「言語的知能」なども向上することが報告されています。

このように多重知能理論は発達する能力(知能)のいわば要素を表しているのに対し、発達の段階そのものに注目したのが、ロバート・キーガンの成人発達理論です。

キーガンは人間の発達を水平的成長と垂直的成長に分け、知識や技能の取得を水平的な成長、そして心の成長を垂直的な成長としました。PCやスマホに例えると、前者はアプリ機能の追加、後者はOSのアップデートにあたります。
キーガンの発達段階理論によれば、ほとんどの成人は発達段階2から発達段階5までの4段階のいずれかに含まれます。特に多いのが段階3で7割の成人が属し、段階2と段階4はそれぞれ10~20%、段階5は非常に少なく1%未満といわれています。

発達段階2 手段・道具的段階(利己的段階)
自分中心的な認識の枠組み。他者の感情や思考を理解することが難しく、自らの関心事項や欲求を満たすために、他者を手段や道具のようにみなす。

発達段階3 他者依存段階(慣習的段階)
組織や集団に従属し、他者に依存する形で意思決定する。組織や社会の決まり事を従順に守り、「善き市民」として行動する。

発達段階4 自己主導段階
自分なりの価値観や意思決定基準を設けることができ、自らの行動基準によって、主体的に行動する。自己成長に強い関心。

発達段階5 自己変容段階
自分の価値観や意見にとらわれることなく、多様な価値観・意見などを汲み取りながら的確に意思決定ができる。自らの成長に強い関心を持つことはなく、他者の成長に意識のベクトルが向かう。そして他者が成長することによって、自らも成長するという相互発達の認識を持つ。

利己との関係でいえば、段階2と段階4が利己的行動をとります。段階3は利他的ですが非利己的行動で慣習に従います。段階5は利己を超越した利他で利自とも呼びます。

芸術思考でいう利他性はキーガンの発達段階5の自己変容段階に近いのではないか、とうのが私個人の(現在の)考えです。
ここは、マズローの自己実現欲求段階(いわゆるピーク)やチクセントミハイのフローとも通じるところがあると思います。芸術(アート)に触れたり、アートやデザインの作品をつくる中で、ピーク状態やフロー状態になることは、段階5の自己変容段階に近づくことのできるひとつの有効手段ではないでしょうか。

キーガンの成人発達理論は同じく発達理論のケン・ウィルバーの「インテグラル理論」そしてそれを組織論に応用したフレデリック・ラルーの「ティール組織」のいわば基礎となっています。
今後社会が「自律社会」あるいは「共感社会」へと移行する中で、アート思考や芸術思考のアプローチは有効というか欠かせない思考となると思います。

そういう中、アートやデザインも目指すところは決して違わないと思うのですが、アプローチの違いは当然あるわけで、内在的動機に基づく「アート思考」、外在的動機の「デザイン思考」そして多重知能理論や発達理論からのアプローチとしての「芸術思考」という分類ができるのかもしれません。
例えば、下図のような考え方もできるのではないかと思いますが、このあたりは今後探求や議論を重ねていきたいと思っています。