宮沢賢治とウィリアム・モリスのつながり
前回の記事「ウィリアム・モリスのアート思考とビジネス(仕事)と幸福論」で、アート思考の源流を、19世紀イギリスの思想家・建築デザイナーのウィリアム・モリスに求めました。
19世紀当時のイギリスと現代の日本との対比で、なぜ今(日本で)アート思考が注目されているのか。その一端を紐解きました。
モリスが旗手となった「アーツ&クラフツ運動」は世界に広がり、日本でも柳宗悦の民藝運動などに影響を与えたと言われていますが、宮沢賢治も影響を受けた一人です。
宮沢賢治は「雨ニモマケズ」などの詩作、「銀河鉄道の夜」などの童話作家としてだけでなく、庭園や公園を手掛けたデザイナーそして土壌改良などの農業技術支援技術者としての顔もありました。
しかしおそらく最も熱心だったのは、世の中をよくするための教育者、啓蒙者としての活動だったのではないかと思います。
花巻農学校の教諭として学生たちを教え、退職後は「羅須地人協会」を立ち上げ、農民への技術指導、そして夜は集まった人々に様々な講義を行いました。
この「羅須」がどういう意味なのか、賢治は「花巻という言葉に特別意味がないように羅須にも意味はない」と言ったと伝えられます。塗壁の下地の板や金網を意味するLathの当て字という説や、モリスの師匠にあたるジョン・ラスキン(ラスキン→ラスチン→羅須地人)からとったという説などあります。
モリスは壁紙のデザイナーとして今でも有名ですが、それらの壁紙アートを支える表面から見えない下地(Lath)という意味だとしても、モリスやラスキンとのつながりを感じることができますね。
宮沢賢治のアート思考
宮沢賢治のアート(芸術)に関する想いの足跡は、花巻農学校の講義要項や羅須地人協会の綱領である「農民芸術の興隆」「農民芸術概論概要」などが現存し、青空文庫などで読むことができます。
宮沢賢治はモリスらと同じように、芸術(アート)と仕事(労働)は本来別のものではなく、仕事(労働)の中に芸術(アート)があると考えました。
「農民芸術の興隆」の中でも、
職業芸術家は一度亡びねばならぬ
誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ
然もめいめいそのときどきの芸術家である
と述べて、農民はもちろん誰もが芸術家である。仕事と芸術(アート)は一体であると主張しています。
この言葉を一言で表したのが、有名な
「芸術をもてあの灰色の労働を燃やせ」ですね。
現代社会とアート思考
アート思考がブームになったのはここ数年です。日本社会は20世紀後半の高度成長期、バブル経済を経て、失われた30年に突入。
経済を発展させて豊かな社会になるという20世紀の目標は事実上失われ、VUCAという先の見えない社会のなかでどう現状維持するかが目標となってきました。
これはラスキンやモリスがいたころのイギリスや、明治維新後、富国強兵という「坂の上の雲」を目指して、日清・日露戦争に勝ち列強の仲間入りをしたものの、様々な国内問題を抱えた20世紀初頭の日本の状況とある意味似ているかもしれません。
国全体が豊か(Riches)になるという目標はとりあえず達成したものの、そこから先のビジョンがなく、社会の豊かさは、個人の豊かさ(Wellness)に還元はされない。
国家の中で、あるいは国家間で格差が広がっていきました。
過去には「革命」「戦争」という破壊と再構築手段が繰り返されましたが、おそらく今後の日本にそういうことは基本的には考えづらく、じわじわと沈下していく未来が予想されます。
そういう中で、私たちはひとりひとりがビジョンを持って、決して一人ではなく、他の人、他のセクターと共創していく社会をつくらなければ、このさきの未来はないですし、逆にその構築ができれば、今までにない、個をベースとした新たな社会が生まれてくるのではないか。
例えば以前に書いた「アジャイル・ガバナンス」もその文脈で考えると、新たな日本の指針になるような気がします。
ひとりひとりが自分の夢、やりたいことを持ち、周りと協調・共創する社会をつくる思考法として「アート思考」を少しずつでも広めていきたい。
これが宮沢賢治の意志を継ぐことなのじゃないかと個人的に考えるところです。