コミュニティデザインの源流

私が藝術学舎で学んだ師匠(先生というより「師匠」がふさわしいかも)であり、福島の美術館のプロジェクトでもいろいろご指導いただいた、コミュニティ・デザイナー山崎亮さんの2016年の著書「コミュニティデザインの源流-イギリス編-」

このところ数年ブームが続いている、アートやアート思考。
私自身も記事を書いたり、論文を書いてきて、このアート思考をロジカル思考やデザイン思考等と併せて「イノベーション技術」「新しいものを生む発想術」という文脈で捉えてきましたが、この本を読んで一番感じたことは、仕事とは実は「アート」であるということです。

この本は、コミュニティデザインの源流を探るということで、19世紀半ばから20世紀初頭にかけてイギリスで活躍した「ジョン・ラスキン」「ウィリアム・モリス」「アーノルド・トインビー」「オクタビア・ヒル」「エベネザー・ハワード」「ロバート・オーエン」などの生涯や人となりについて紹介したものです。

彼らはいわゆるデザイナーの元祖(つまりデザイン思考の源流)でもあり、同時に当時のイギリス社会(資本主義の矛盾が噴出し始めた社会)について考える哲学者であり、社会起業家(ソーシャル・デザイナー)でした。

ジョン・ラスキンは美術家、美術批評家、社会改良家のほか、教育者としてルイス・キャロルやアリス・リデルの先生でもあり、ウィリアム・モリスは建築家としてまたインテリアデザイナー・商業デザイナーの元祖として有名ですが、トールキン(ロード・オブ・ザ・リング原作者)にも影響を与えたモダン・ファンタジーの父としての顔もあります。またモリスが旗手となって19世紀末のヨーロッパに広がったアーツ&クラフト運動は、日本の民芸運動や宮沢賢治のイーハトーブの世界観、ドイツのバウハウス運動などにも影響を与えています。

オーエンは事業家として、今でいえばZapposのような「幸福経営」「社員のための事業」を実現してきた人です。生活協同組合やWorkers-CO-OPの基礎を作った人としてご存じの方も多いと思います。

おそらく多くの人は、これらの名前は「よくわからないけど、どこかで聞いたことがある気もしなくもない」という感じかと思います。彼らは歴史(世界史)の教科書で、マルクスやエンゲルスが批判した「空想的社会主義者」「ユートピア社会主義者」として描かれている人たちです。日本でも有名なマルクスと違い、授業で先生の口から話されることもほとんどなかったのではないでしょうか。

アート(芸術)は働き方(労働)の中にある

美術評論家、社会改良家のラスキンは「価値」というものに独自の考えを持っている人でした。彼は、自然や人間などあらゆるものは「固有の価値」があると考えました。

従って美術においても、自然を擬人化して鑑賞者に特別な感情を与えようとする表現を嫌い、自然の美しい部分を正確に表現する手法を好みました。
これは「仕事」についても同様で、自然や資源がもつ固有の価値を減じるような仕事は無駄とし、儲かるかもしれないけれど、自然がもつ価値を減じるような開発を批判します。今の環境破壊や気候変動を起こすような、経済体制はもってのほかと、彼は考えていると思います。

そして産業革命後の資本主義体制の中で、安くて陳腐な商品がたくさん出回っていることを嘆いています。こうした商品はいずれも原料の固有価値を減じているような結果になっているというわけです。

分業制によって、効率的に仕事はできるようになり、儲けは増えたけれども、その中で機械のように働く労働者は疲弊し、社会はほんとうの意味で豊かになっていない。
今日の日本の問題、例えば安さを売りにする企業(ユニクロ・すき家・ワタミ・最近だと富士そば等)の多くが「ブラック」と批判されている問題にも通じる気がします。

ラスキンの思想は、美術思想に始まり、自然や人間における固有の価値の大切さを説き、人々が仕事の中に喜びを見つけ出せるような社会を作り出すことを重視しました。

モリスも「労働を民衆の芸術(アート)に育てよう。退屈でつまらない労働、心身をすり減らすような奴隷労働を終わらせよう」と呼びかけています。モリスを日本に紹介した宮沢賢治も「芸術をもて、あの灰色の労働を燃やせ」と言っています。

仕事とアートの関係では、最近では山口周氏が「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」」(光文社新書)を書くなど、仕事と芸術、ビジネスとアートを考えようというのが一つのブームです。

上に書いたようにこれは100年以上以前にラスキンやモリスなどイギリスで言われてきたことであり、実際山口氏の本も別の文脈でラスキンの引用が見られるなど、勿論彼もこのあたりの知識は詳しいと思われますので、山崎さんが「紹介」としているのに対し、山口さんは「自分の意見のように語る」あたり、「ちゃっかりしてるなぁ」というのが個人的な印象です。(もちろん批判するつもりは全くありませんが。)

ついでに言うと、昨年「人新生の資本論」が出版されて、これはオーエンやラスキン、モリスらと対立した「科学的社会主義=共産主義」のマルクスを評価している本です。著者の斎藤公平氏がこの本で提案している(1)使用価値経済への転換、(2)労働時間の短縮、(3)画一的な分業の廃止、(4)生産過程の民主化、(5)エッセンシャル・ワークの重視という5つの提言のうち、前の2つはマルクスが資本論で語ってきたことで、後ろの3つが著者の斎藤幸平氏のオリジナル(マルクスが晩年考えていたこと?)となっていますが、実際これらはラスキンやモリスが主張していたことですし、またそれ以前にオーエンがニューラナークでの経営において実行しようとしてきたことに他なりません。

アート思考やデザイン思考が考える、幸福な働き方とは

話を戻して、ここからは実際にアートな働き方とはどういうものか、仕事の中に喜びを得る社会にするにはどうすればいいか、ラスキンらが語っていたことを紹介したいと思います。

ラスキンは、中世のゴシック建築を分析して、それが「規範遵守的装飾」であるとしています。これは、親方の装飾を「規範」にしつつ個々の職人が自由に表現したものです。
他に、親方の言う通り(設計したとおり)つくる「隷属的装飾」そして個々の職人が勝手に表現する「革命的装飾」の合わせて3種類あるとしています。

現在の多くの仕事のやり方は、「隷属的装飾」であることは同意されると思います。このような仕事のやり方は工業的で、効率的、機械的(非人間的)な仕事の進め方であるのに対し、「規範遵守的装飾」は、ひとりひとりの職人の個性が作品にも残る工業と芸術が一体化したようなやり方です。今で言えば、「ティール」や「アジャイル」と言われるやり方を先取りしたものとも言えそうです。

そしてギルド体制にあるような、分業制ではなく、人の全体性を重視する仕事の割り振り方。このあたりに「仕事の中に喜びを得る」アートと仕事の融合のヒントがあると思います。

ラスキンは「あなたのやれること(=やりたいこと)をやりましょう。やれないことは正直に言ってください。やれないのにやれるふりをするのはやめましょう」と言い、こうやって一人ひとりがやれることを持ち寄って組み合わせ、荒々しさの中に美しさがあるゴシックの本質であるとしています。

一人ひとりがやりたいことを、共感できる者同士が合わさって、芯がありながらも予定調和的でない作品(仕事)を作り上げる。これがアート思考の仕事のあり方であり、仕事の中に喜びを得る社会を創る方法なのではないでしょうか。

空想的・ユートピア社会主義の再評価を

「空想的」「ユートピア」と「科学的」の違いは、一般には「何も実行しないで夢想する人」が前者で「実際に実行して検証する人」が後者というイメージがあります。

しかし実際には、「空想的・ユートピア社会主義者」たちは自分たちのコミュニティで様々な実行を繰り返し、成功や失敗を重ねてきた人たち、一方の「科学的社会主義者(共産主義者)」は「そんなまだるっこしいことしないで、革命して一気に社会を変えよう」と言って、社会をつくるというより政治活動に身を捧げた人たちでした。

後者がどうなったかは、「実質的に」唯一残っている共産国家が「北朝鮮」であることから明らかですよね。

もちろん前者も失敗に終わったプロジェクト、例えばオーエンの贈与経済の仕組み(オーエンは労働チケット制を創設して、お金を介さない贈与経済の仕組みを創りましたが、3年で失敗します。しかしその仕組みは、今の地域通貨制度に取り入れられている。)や、現在でも名前だけが残っているハワードの「田園都市構想」など、彼らが考えたようにはなかなか世の中は進んでいません。

しかしオーエンの構想から、生活協同組合制度やWorkers-COOPが生まれて世界に広がったり、従業員への福祉制度が作られたり、市民コミュニティによる環境・文化保護制度である、ナショナルトラストがこれも世界に広がるなど、今後につながる成果もたくさんあります。
このような先駆者の分析が、今の日本にこそ必要だと思っています。


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