IDEOの日本撤退とデザイン思考の終り

昨年11月の話になりますが、デザインファームのIDEOが、年末までに全世界で従業員の四分の一を解雇し、併せてミュンヘン、東京のオフィスを閉鎖することを発表しました。

IDEOといえば、デザイン思考を広めた企業として有名で、創業者の一人で当時のCEOのティム・ブラウンが書いた「デザイン思考が世界を変える」がきっかけとなって、日本でもデザイン思考ブームが起きたことをご存じの方も多いと思います。

デザイン思考が世界を変える
  
そのIDEOが経営不振となり、日本からも撤退する。このニュースは業界関係者に衝撃を与えました。もちろん私もショックを受けた一人です。

このニュースを聞いて私もすぐに記事を書こうと思ったのですが、実はなかなかできませんでした。

自分の立場としては、
・IDEOという一企業の事情とデザイン思考の話を混同するべきではない。
・これは「デザイン思考が、IDEO一社のものから、幅広く浸透したことを意味している(デザイン思考の民主化)」ということであり、これからも様々なデザインファームや先端企業などにおいてデザイン思考が幅広く活用されていくだろう。

・・という感じでまとめたかったのですが、そのように(ポジショントークっぽく)言ってしまうことにも何か違和感があり、そのモヤモヤ感がどういうことなのか、今まで言語化できずにいました。

先日(4月11日)、佐宗邦威さんが率いるデザインファームBIOTOPEさんの「『デザインファーム』はこれからどうなる?」の記事を読ませていただいて、かなり自分が思っていたことが書かれていているように思いました。
この記事のおかげで「モヤモヤ感」もかなり整理できた気がします。

デザインファームはこれからどうなる?BIOTOPE

「デザインファーム」はこれからどうなる?BIOTOPE

https://note.com/biotope_magazine/n/n7f066621fbff

BIOTOPEさんの記事を私なりにまとめると、
・BIOTOPEもIDEOのことを、自分たちが目指す目標としてきた。
・しかしながら、実際にデザイン思考によって生み出された商品が世の中に出たというのはほとんど聞かれず、そのギャップに違和感は感じていた。
・アプローチする相手が人だけでなく社会や自然環境など複雑になってきているので、「人間中心デザイン」の考え方で商品・サービスだけつくればいい話ではなくなってきた。
・この複雑化した社会では、デザインだけで課題がすべて解決できるわけではなく、様々な思考体系を内包して活動していくべきだと思う。

ほかにも様々な論点がありますので、ぜひBIOTOPEさんの記事も読んでいただきたいのですが、ここからは、「デザイン思考」の今までの流れも踏まえながら、私なりの視点で書いてみようと思います。
  
   

IDEOの「人間中心」「顧客中心」の原点は日本

IDEOは1991年にティム・ブラウンやデビッド・ケリーらのデザイン会社4社の合併により創設されました。
IDEOの実績として、80年代、Appleの初代マッキントッシュのマウスの設計がよく挙げられますが、これはIDEOではなく前身のデビッド・ケリーの会社のときのものです。

IDEOが設立された頃、つまり80年代から90年代初めにかけての米国経済は、豊富な資源と優秀な人材を背景とする大量生産体制が限界を迎えて、混迷の時代に突入していました。

この頃出版されベストセラーになった「第二の産業分水嶺」(M・J・ピオリ , C・F・セーブル)、あるいはジョゼフ・パインの「マス・カスタマイゼーション」「エクスペリエンス・エコノミー」を読むと、効率よく製品をつくるそれまでの「大量生産体制」から、様々な欲求(想い)を持つ顧客にきめ細かく対応した「マス・カスタマイゼーション」や「マス・クラフトマンシップ」への移行の必要性が書かれています。

そして、それらの本でお手本としているのが、顧客に最も近い現場の自主改善活動(QCサークル活動)や、きめ細かい生産を可能とする「カンバン方式」(米国ではリーン生産方式として紹介され普及)で世界を席巻した、日本のやり方でした。

そのような社会風潮の中で生まれたIDEOの代名詞となっている「人間(顧客)中心デザイン」も、言ってみれば日本をお手本にした考え方です。

東京オリンピック招致のプレゼンで流行した「おもてなし」を引き合いに出すまでもなく、私たち日本人はもともと「顧客中心」「人間中心」の思想を持っている。

日曜日は商店も休むのは当然という欧米(特に欧州)と、一人でもお客が来るならと24時間356日お店が開いている日本。
これはもちろん素晴らしいことではありますが、行き過ぎて「忖度」が起きたり、周りに気を遣いすぎて精神が病んでしまったり、時には「過労死」など痛ましいことも起きてしまう。

時には衝突しても「自分」を押し出す欧米人に比べ、自己を犠牲にしても他人に尽くしてしまうのが日本人(ステロタイプですが・・)といえそうです。

つまり「顧客中心」「人間中心」は私たち日本人には当たり前の考え方であって、デザイン思考に教えてもらうまでもなく、日々のビジネスで多くの人が実践していることと言うこともできると思います。
  
    

デザイン思考の限界は50年前にも言われていた

特に日本においては、デザイン思考=IDEOのイメージが強いですが、この言葉(Design Thinking)が初めて世に出されたのは、1965年のブルース・アーチャーの論文「Systematic Method for Designers」です。

論文のタイトルにもあるように、アーチャーは「デザインは体系的、科学的な方法論である」と唱え、これは後のDesign CouncilやIDEOのフレームワークの先鞭にもなりました。

同じ頃には、「ブレインストーミング」や「オズボーンのチェックリスト」の考案者として知られるアレックス・オズボーンや、「The Sciences of the Artificial(邦題:システムの科学)」を著したハーバート・サイモンなども、「科学に基づく方法論」としてのデザインを論じています。

しかしながら1973年には、早くもその限界が示されました。

ホースト・リッテルは、「Dilemmas in a General Theory of Planning」の論文で、様々な課題のうち「やっかいな課題(Wicked Problems)」は、科学的方法論では解くことができないと主張しました。

「やっかいな課題(Wicked Problems)」で挙げられるのは、例えば地球温暖化問題がありますね。
地球温暖化を止めるには、「大気中の二酸化炭素の量を減らすことが必要」と答えはわかりますが、だからといって、産業や世界の経済体制への影響や貧困問題などと切り離して「では経済成長を落として排出量を減らせばいい」では、解決にならないわけですよね。

解の一つとして、普及が加速している電気自動車(EV)や再生エネルギー利用にしても、発電所や製造過程でのCO2排出や、他の環境問題、希少資源の採掘の問題など、様々な負の面があることもわかってきています。

身近なところでは、家庭や職場などの「人間関係の問題」も「やっかいな課題」の代表例です。「正しい答え」「正論」を唱えても、実際の人間関係の解決に導くことができないのは、多くの人が体験していることではないでしょうか。

このような「やっかいな課題」にデザイン思考は有効なのか疑問が示され、また1992年にもリチャード・ブキャナンが「Wicked Problems in Design Thinking」で、もっと統合的に考えないと、これらの複雑な問題の解決は不可能であると書いています。

このブキャナンの論文とちょうど同じ頃にIDEOが設立されました。
彼らの戦略はリッテルやブキャナンとは逆の方向で、「目の前の顧客に集中しよう」と複雑性の枝葉を切り落とした、「複雑性の縮減」の方向へ行きました。

今にしてみれば、この「単純明快さ」が、このころから言われ出したVUCA時代に、IDEOが注目された決め手の一つだったのかなと思います。

ちょうど大量生産時代の終焉時期で、まだ多くの大企業が「市場」しか見ていなかった時代、ひとりひとりの「人間」に注目すべしとしたIDEOの戦略が、見事に時代にマッチしたのだろうと思います。
(同じ頃に普及し始めていたインターネットやデータ分析ツールによって、マーケティングが「大衆相手」から「One to Oneマーケティング」に移行している時期でもありました。)

2024年の現在、「顧客の多様性に向き合う」というのは多くの企業にとって当たり前の考え方になっており、それに加えて、IDEO創業時、あるいは日本でティム・ブラウンの本が発売された2010年の頃と比べても、東日本大震災やコロナ禍を経た社会はますます不確実性(複雑性)が高まっています。

そういう中で、30年前の時代には適応した「人間中心」「顧客中心」は時代遅れ(不要になったのではなく当たり前の存在)になった、と言っても良いでしょうし、それが「デザイン思考の終焉」(正確には一つの区切り)という時代の流れなのだろうと思います。

BIOTOPEさんの記事を引用します。

人間中心デザインだけではもうこの世の中は語れないほど複雑になっています。僕の興味領域であるカーボンニュートラル領域でも、当然相手は人ではなく自然界で、あえて極端に言えば、そこにはヒューマンエクスペリエンスはありません。

そうなると、エコシステムとかサプライチェーンとか、ギャップを生み出してる組織全体とか、複雑な物事が向き合うべき射程になっていくので、「デザインファーム」の役割はより広くなっていかなければいけない。

そうなるとデザインファームは、デザイン思考の他にも、BIOTOPEが得意としている戦略思考、システム思考、ビジョン思考、あるいはパーパス思考など、あらゆる「思考ツール」のようなものを内包して活動していくべきなのかなと思います。

  
  

デザイン思考の終焉後の私たちの取り組み

  
デザイン思考の終焉:3つの思考法
   
    
論理の経路は異なるとは言え、私たちもほぼBIOTOPEさんと同じ結論に達しているのかなと思います。(言語化のきっかけをいただいたこの記事にはとても感謝をしています。)

繰り返しにはなりますが、「デザイン思考の終焉」と言っても、顧客中心、人間中心の考え方が不要になるわけではなく、それをベースにしながら、この複雑で不確実な社会をどのように捉え理解するかというのが必要になってくると思います。

この複雑な社会への視点を持つためのフレームワークとして、私たちは「システム思考」に取り組んでいます。
社会をシステムすなわち「要素と要素のつながり」と見て、その全体を見る「木も見て森も見る」視点を持って、この複雑な社会を紐解くのがシステム思考です。

その上で、全体を見ながら課題解決をデザインする。これは「森も見ながら木も見る」わけですが、広く入り組んだ森の中で、どの木(課題)を見るか決めなければならない。

その解決法として、顧客が何を求めているか「顧客がどの木を見ているか」を頼りにしてきたのが「人間中心」「顧客中心」の(IDEO流)デザイン思考でした。

最近の新しい動きとして、Design Councilが2021年に発表した「Systemic Design Framework」(システミックデザイン)があります。
これは「人間中心デザイン」ではなく、地球全体の問題や環境問題など地球全体を「システム」と見て、そこからデザインを考えようというアプローチで、いわばシステム思考とデザイン思考を統合的に考えようというアプローチです。

(Design Councilは1944年にロンドンで設立され、ブルース・アーチャーの(Design Thinkingという言葉が初めて使われた)論文の発刊や、2004年には「Double Diamond」のフレームワークを発表するなど、デザイン思考の発展に密接に関わってきましたが、現在こちらでは「Design Thinking」という表現をほとんどしていません。)

Systemic Design Framework:Design council

このように、今は複雑で顧客自身も先が見えない時代。そうなると私たち自身が、先を見据えて統合的に(どの木にするか)考え、決めていかなければばならない。

この課題設定で、私たちは「アート思考」が必要と考えます。

つまりデザイン思考で顧客の想いに共感するばかりでなく、私たち自身が「何を課題に思っているのか」「なぜその課題に取り組むべきなのか」を考え、その想いを表現する必要がある。「パーパス」もそうですが、もっと広い視野を持ちながら、地球環境なども含む社会視点、あるいは顧客視点も考えながらの「自分視点」が大事になってきます。

つまりこれからは、デザイン思考だけでなく、システム思考、アート思考も含め統合的な課題の設定と解決手法が必要になってくる。

私たちは、3つの思考法の統合で、この複雑で先の見えない社会やビジネスの課題に向き合おうと考えています。


日本能率協会主催「DX時代に求められる「3つの思考法」入門セミナー」開催