目次
1.企業経営における自律型組織とは
2.企業組織を自律型にするには
3.自律型組織とティール組織の共通点相違点
4.自律型組織のつくり方
自然経営研究会に関わって2年、代表理事になってちょうど1年。
その間にも様々な自律型組織企業(ティール組織企業)を取材したり、運営に関わったり、講演やセミナーをしたり、国際学会で論文発表したり(「最優秀論文(Best Paper)賞」頂きました。)、企業コンサルしたりなどの経験の中で蓄積されてきた知見を、自分なりに少しずつ形にしたいと思っています。
「ティール組織」がベストセラーになったように、世間の関心は高いと思いますし、関連本もいくつか出ていますが、抽象度の高い内容が多く「とっつきにくい」印象も与えているようにも感じます。
ここでは特にHow(どうやるか)に重心を置きながら書いていきたいと思います。
というのも、「ティール組織はこうあるべき」「自律型経営の心構え(マインドフルネス)」といった記事は結構散見されるのですが、では企業を自律分散型にするには具体的にどうすればいいのか、どうやればティール組織はできるのかといった「How」や「Doing」に関する記事はあまり見れない気がするからです。
自律型の組織やティール組織を考えるとき、「Howだけではいけない」のは事実ですが、だからといって、Howがなければ、手を付けることもできないことも確かです。
1.企業経営における自律型組織とは
とは言え最初は「自律型組織とはなにか」ということを考えることは必要だと思うので、ここでは企業経営の歴史を踏まえて振り返ってみたい思います。
近代的な企業経営は、フレデリック・テイラーの「科学的経営法(Scientific management)」に始まります。この手法はマックス・ウェーバーらの唱えた官僚制度と結びつき、労働者(Worker)と管理者(Manager)が分離する、いわゆるピラミッド型組織が普及しました。
一方ハーバード・ビジネス・スクールのバーンスタイン准教授らによれば、自律型経営は1950年代のイギリスの炭鉱管理や、1970年代の日本経営にそのルーツを見ることができます。
1986年に野中郁次郎一橋大学名誉教授らがハーバード・ビジネス・レビューに寄稿した論文「The New New Product Development Game」では、当時のトヨタ自動車、ホンダ、富士ゼロックスなどの日本企業がトップダウンではなく、ボトムアップ型で新製品開発を行う手法について紹介され、この論文で名付けられた「スクラム経営」は、後の「アジャイル経営」や「ホラクラシー」などのルーツの一つとなりました。
1990年代には、ミンツバーグの唱えた「アドホクラシー」がインターネットと結びつき、ネットワーク企業の概念が広まっていきます。その後、オープンソース化やアジャイル/スクラムの方法論、シェアリングエコノミーが参加型かつ反応の早い組織構造(Agility)を生み出すきっかけとなり、2010年代になってブライアン・ロバートソンの唱えた「ホラクラシー」が、Zappos、Airbnbなどの企業に採用されるようになると、一気にその名が広く知られるようになりました。
バーンスタインらによれば、ピラミッド型(官僚型)組織と自律型組織の違いは、確実性を求めるのか、順応性を求めるのかの違いです。
社会が比較的安定し、変化に乏しい時代には、リスクをとらず前例踏襲型の確実性を求める官僚型・ピラミッド型の組織が成果を出しやすい。一方で先が読みづらい、変化の激しい社会では、順応型が求められるようになります。
昔ながらの組織がニュートン力学に従う「装置」になって個人という「素粒子」の動く道筋を正確に予測・管理しようと努めるモデルだとすれば、自律型の組織構造は、変化する環境に適応(順応)するため、素早く増殖して進化する生命有機体に近いモデルというわけです。
2.企業組織を自律型にするには
では一体どうすれば企業経営を自律型組織・自律型経営にすることができるのでしょうか。
実は、基本的な考え方はとてもシンプルだと思います。
「社員(従業員)が好きなことを、好きなようにできる組織経営」です。
実を言うと、これは取り立てて珍しい組織ではありません。例えば「大学のサークル」などがそうですね。また自然経営研究会にも当てはまると思いますが、NPOやボランティア組織にもそのような組織は少なくありません。
このような組織に「管理」がいらない理由はすぐにわかるかと思います。
人間好きなことを好きなように(やりたいように)できるときほど、熱心に物事に取り組むことはないと思います。
誰かに目標を与えてもらったり、進捗を報告してチェックしてもらう必要もありません。自らやり方を学んだり、工夫したり、もっといいものを創りたくなったりします。
イノベーションの代名詞とも言える発明王エジソンは、誰かに管理や監督をされてあれほどの発明をしたのでしょうか?
おそらく彼は発明することが大好きだったのではないかと思います。
優れた作品を世に出すアーティストも、その作品に取り組むことが大好きだからこそ、今までにない(独自の)そして多くの人に共感される作品(アート)を生み続けているのでしょう。
自律型経営をするためには、社員が優秀でなければいけないとか、(後で「発達理論」との関係にも触れようと思いますが、)成熟した人間が組織に揃ってなければできないというものでもありません。
組織の中で能力が低いとみなされている人も、会社にいやいや通っている人も、趣味など好きなことには、それこそ寝食を忘れて熱中するでしょう。
逆にいくら能力や人間力が高い人が揃っていたからといって、嫌いな仕事、やりたくない仕事ばかりやらされる会社組織で、自律型経営ができるでしょうか?
おそらくそういう人たちは、すぐに他の会社に転職して、あっという間に組織は消滅すると思います。
このように自律型経営の考え方、概念は極めてシンプルです。
しかしながら、現在のほとんどの日本企業には、社員や従業員に「好きなことを、好きなようにしてもらう」仕組みがありません。
新卒一括採用で採用した社員を人事が「神の目」で、パズルにピースを埋め込むように様々な部署に配属させます。もちろん入社前アンケートなどで「希望部署」は聞きますが、それはあくまで参考の一つくらいにしか考えていません。
その後の配置換えや転勤も、会社の都合で一方的に決められます。そのために単身赴任など家族がバラバラになろうとも、会社は気にしません。
最近は、転勤等に社員の希望を聞く会社も増えましたが、会社の評価は「文句を言わず転属も転勤も受け入れる」社員の方が高くなるケースがほとんどです。
そのような環境では、社員や従業員は自然と「仕事は義務」「給料をもらうために我慢してやらなければいけないこと」と考えますから、その従業員に対して「きちんと仕事をするかどうか監視」する必要が出てきます。
誤解を恐れずに言えば、「奴隷制度」時代の発想とあまり変わっていないように思えます。
最近では、「従業員のモチベーションを上げる」「社員の幸福度を上げる」必要性がよく言われるようになりましたが、そもそも他人が決めた仕事を他人が決めたルールでやらせ、「好きなことを好きなように」やらせないで、そうしておいて、どうやってモチベーションを上げられるのか。幸福度を上げることができるのでしょうか?
今までの発想を変え、新たな「仕組み」が必要になってきます。(続きます。)