最近周りの友人たちから、『河合隼雄』の名前がたて続けに聴かれるようになった。これも一つの『共時性』かしらんということで、我が家にある唯一の河合隼雄本(?)を久々に引っ張り出して、読み直してみた。

言うまでもなく、この本は『小説家』の村上春樹が河合隼雄に会いに行き、彼の小説、或いは村上春樹自身を題材にして語り合う本だが、ビジネスマンが会いに行って語っても全く同じ内容になる気がした。

村上春樹ファンにはお馴染みのコミットメントとデタッチメントは、まさに会社と従業員の関係にそのまま当てはまる。今『働き方改革』で議論されているのは、会社からのデタッチメントであろう。しかし私たちがこれらの議論(例えば裁量労働制というとすぐ野党や組合が、会社による搾取に結びつけることなど)に違和感を感じるのは、社会はデタッチメントからコミットメントへ転換しつつあるからかもしれない。

それも昔のベタベタした共同体ではない。本の表現を借りれば、『これまでにあるような「さあ手をつなごう」ではなくて、井戸を掘って掘っていくと、そこでまったくつながるはずのない壁を越えてつながる』というコミットメント。これはユング心理学の集合的無意識だけでなく、システム思考の氷山モデルやティール組織で語られるホールネスとも通じる。

また物語を作るために必要な力について折に触れ語られるが、これは『ビジネス(モデル)を作る力』としても全く同じである。経営学者の入山先生(早稲田ビジネススクール准教授)が経営理論を知ってもビジネスモデルを創れない、と仰ったが、これは幾ら日本語の文法や構文を学んでも物語を創れるようにならないのと似ている。物語を創るためには、壁を越える力が必要。

ここでいう力とは、創発、その創発をひきおこす自己組織化というと自分の領域に引っ張り過ぎ?(笑)

しかし今までにないものを創新し、世の共感を得る。そして普及させる(創新普及=イノベーション)ことが必要な点ではどちらも同じですね。