ニューソート(異端のキリスト教宗派)の教義(「率い寄せの法則」)に影響を受けた人は言います。
「常にポジティブであれ、ネガティブはいけない。」

ニューソート派ディヴァイン・サイエンス教会の牧師であるジョセフ・マーフィーも言います。
「不安は人類最大の敵である。失敗や病気や悪い人間関係の背後には不安がひそんでいる」

一見なるほど~と納得してしまいそうな言葉です。
しかしここにはニューソート派教義お得意のレトリックがあることにどれだけの人が気づいているでしょうか?

「不安」あるいは「恐怖」というのははあらゆる動物が持つ感情です。
あらゆる生物は食物連鎖によって、他の動植物に捕食される運命にありますが、捕食されっぱなしではその種は滅びてしまします。
だから不安感、恐怖心を持ち、その相手から逃げたり隠れたりすることによって、自分の命を守ってきました。

未知なるものを恐れる気持ち、不安に思う気持ちは、私たちのDNAに刻み込まれています。
そのことが、簡単にわかる証拠を示してみましょう。
下の図を見てください。

カニッツァの三角形

3つの円と黒く縁取りされた三角形の上に、白い三角形が浮かび上がって見えますよね? もちろん目の錯覚です。
これは心理学者のエタノ・カニッツァが作成した、カニッツァの三角形と呼ばれるものです。
「目」の錯覚と書きましたが、研究によればこの白い三角形のような錯視的輪郭構造を見せる神経構造は、視神経と脳の視覚野との間にあることがわかっています。脳の思考を司る領域に視覚情報が達する前の段階で、能動的なモデル化が行われているのです。

不自然に切り込まれた3つの黒い円、そして辺の一部が消えている黒線でかこまれた三角形という情報から、これは白い三角形が隠れているかもしれない、という「警戒警報」なのです。

TVなどで、アフリカのサバンナでライオンやチータなどの肉食動物が、シマウマやガゼルなどを襲う映像を見たことがあると思います。ライオンは、まず、草陰や岩などに隠れながら少しずつ近づいて、相手が逃げられない距離までつめてから、獲物を襲います。
襲われる方の動物から見れば、いかに早く敵の襲来を発見できるかが生き残る鍵となります。
そのときにライオンの全体像が見えて初めて、「これは我々を襲う敵のライオンだ」と判断しているようでは、もちろん間に合いません。覆い茂った草や岩の影に、ライオンのしっぽや耳の先が見えた瞬間にその全体像を把握し「ライオンが来た!」と判断して、逃げろ!と脳が命じなければならないのです。
カニッツァの三角形にある黒い円の切れ込みは、ライオンのしっぽの一部、頭の一部だと置き換えれば、白い三角形が浮かび上がった理由がわかるかと思います。
私たちの太古の時代から受け継いだ「不安」「恐怖感」のDNAが見せる現象なのです。

私達が暗闇を恐れるのも、夜にひとりぼっちになると不安になるのも、肉食動物の多くは夜行性のため、暗がりで襲われ続けていた太古の記憶があるためです。
だから人間は火や電気などの灯りを発明し、不安感を払拭しようと文明を発展させてきました。
飢えの恐怖から逃れるため、経済というシステムを発達させました。

そして今なお人間を「捕食」し続けてている病原菌やウィルスと戦い続けています。

また残念ながら人間という種は、同じ種の生物でありながら、いがみあったり、喧嘩をしたり、時には殺し合ったりもします。
相対的に弱い子供や女性などは「防犯」にも気をつけなければいけません。

マーフィーらニューソート派にかかれば、これらの原因が「不安と思う心」であるということになります。
病気になったり、何者かに襲われる危険があるから、それを避けるよう「不安」「恐怖感」という感情が生まれたのではなく、
「不安」「恐怖感」があるから、病気や何者かの襲来や事故を「引き寄せ」る。

敵や失敗や病気から逃れる、克服するために、人(あらゆる動物)は「不安」という感情を持ったはずなのに、
「恐怖」という感情があるから、人は病気になったり、失敗したり、人間関係が悪くなる。

このすり替えは、
ある目標を達成した人は、その目標を達成することを望んでいた人である。というロジックが、
目標達成を望みさえすれば、目標を達成できる。とすり替えられる「願望実現法」「引き寄せの法則」のニューソート・ロジックと全く同じです。

たしかに行き過ぎた恐怖心は、免疫組織が自分の体を攻撃する現象(アレルギーやリューマチなど)のように、自分にとっても害になります。楽観的な感情を持つことが、大事なのは言うまでもありません。

そして多くの人は自分の心の中にポジティブな感情、ネガティブな感情を両方持っているでしょう。

それが自然であるし、それが正しいのだと思います。

それを無理やり、「ポジティブ・シンキング」にしよう、恐怖心を持っては「いけない」、弱気になっては「いけない」、ネガティブな感情は「いけない」、という「いけない」づくしでは、「ポジティブ・シンキング」も見方を変えれば、「ネガティブ・シンキング」の一種ということになります。