ルネサンス時代に花開いたアート思考

昨年あたりから、「アート思考」という言葉があちこちで聞かれるようになりましたが、「アート思考」は、流行りの「バズワード」に過ぎないのであって、デザイン思考と何ら変わるものではないという意見もあるようです。

しかしアート思考の考え方は決して新しいものではありません。
もともとアート(芸術)は、その時代の社会と深く結びついたものでした。古代や中世のヨーロッパでは、アートは当時の最大の権力者である教会の権力拡大の手段として使われてきました。教会に描かれたアートが、聖書と並んで、権威付けのためのメディアであり、ブランディング手段であったわけです。

ルネサンスの時代、人々は宗教のくびきから解き放たれ、サイエンス(科学)が発展します。同時にレオナルド・ダビンチやミケランジェロなどのアーティストも活躍するようになりますが、彼らを支援したのは、当時のイタリア最大の“財閥”メディチ家です。
メディチ家は、その名が表すように、薬(メディスン)業や医療で身を起こし、その後銀行業で成功して、イタリア最大の名門財閥となります。
古代社会では、病気を治すのは宗教の役割でしたが、薬の登場でサイエンスの分野となります。これは最初の「イノベーション」です。

メディチ家はイノベーションの重要性をとても理解しており、メディチ家の邸宅には、アーティスト、サイエンティスト、哲学家、エンジニアが集まり一緒に生活をしていました。そのようにして新しい人材を迎え、また新しいアイデアを求めるためにギリシャ、ローマ時代の文献を探すため遠い国にも人を送ったそうです。

当時の、アートとサイエンスの繋がりを示すものとして、有名なガリレオの地動説があります。ガリレオは世界で初めて天体望遠鏡をつくり、それを月に向けたのですが、彼は、月は肉眼で見るような円盤の形ではなく、球体であり、しかも山や谷、クレーターなどがあるものということがわかりました。
これは、彼が当時の大学院で学んだ線遠近法、明暗法という絵画術の(当時の)最新手法を学んでたおかげであったと言われています。彼はそこで月は地球と同じような天体であると知り、天動説から地動説へというパラダイム変換のきっかけをつくったのです。

このように、メディチ家のバックアップにより花開いたルネサンス文化のもと、サイエンスやサイエンス、エンジニアリングもそれまでと比べモノにならないほど進化し、メディチ家も強固な地位を築くことができました。

時代がどんなに変わっても、また形態が教会であれ、政治や企業の世界でもリーダーは論理や経験に従うだけではなく、「判断」が求められます。つまり、君主(指導者)は、周囲、特に人々の振舞いをよく観察したうえで、冷徹な統治判断を下さなければならない。「判断」は最終的には、「感覚」です。
例えばデータが、Aが優勢であると伝えたとき、勝ち馬のAに乗るか、一発逆転をかけてBに乗るか。こればかりはコンピュータにもわからない。(確率論でしか)
この「感覚」に一番近いのが、アートだったのでしょう。周囲の振舞いをよく観察したうえで何をどう描くかというアーティストの感覚に同じように委ねられるものだからです。

現代の事業家とアート

現代においてもビジネスとアートは、密接な関係があります。
日本でも歴代の事業家の中にはアートをコレクションし、そのコレクションを基に美術館を開設する人も多いです。
ブリヂストン創業者、石橋正二郎による「ブリヂストン美術館」、大日本インキ(現DIC)創業者川村喜十郎らのコレクションを集めた「川村美術館」、スポーツ、アパレルメーカのゼビオ創業者諸橋廷蔵が収集したサルバトール・ダリの作品が揃う裏磐梯の「諸橋近代美術館」などが有名です。

このような日本を代表する経営者が、揃ってアートに関心が深いのは興味深いです。(バブルのころの資産運用という側面も見逃せませんが)

また、米国では最近の起業家はアートの世界から生まれるというのが、趨勢になっています。
古く(?)は、スティーブジョブズが、スタンフォード大学を中退したのちも、カリグラフィーの授業だけは、こっそり受けていたというは、有名ですが、Googleの基礎を創り、のちにYahoo!のCEOになったマリッサ・メイヤーも芸術家の母親に育てられました。
また現在も成長を続けている、エアビー・アンドピーの創業者のジョー・ケビアとブライアンチェスキーは、米国で最も有名なアートスクールであるRISD(ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン)の出身者です。

アート思考カリキュラム

ESCP(École Supérieure de Commerce de Paris)のSylvain Bureau准教授は、10年ほど前からImprobableというアート思考のワークショップを開催し続けています。
これは、3日間におよぶブートキャンプで、その間にグループでアート作品を創作する中で、アート思考のプロセスを体感するプログラムです。

2018年からは、スタンフォード大学でもBureau准教授のプログラムを基にした授業が行われているそうです。
スタンフォード大学で、アート思考プログラムを始めたきっかけは、それまでもデザイン思考講座等で様々な「起業」「創業」に関する授業や、ワークショップを数多くやってきたものの、どんなにすばらしいビジネスモデルが生まれても、実際にそれをもって起業しようとする学生はほとんどいなかった、ということにあるといいます。
それまでは、顧客やユーザーの動向を分析し、「どういったビジネスが成功するか」という視点でしか見ていなかったので、実際にそのビジネスをやってみたいか、という「自分視点」が全く欠けていました。
ビジネスも、アートと同じように「想い」「情熱」が必要であることを改めて認識する必要がありそうです。

日本では、2012年に、明治大学の阪井和男教授と東北芸術工科大学の有賀三夏講師が芸術思考学会を立ち上げ、研究、普及活動に努めておられます。

日本能率協会主催「生成AI時代のアート思考入門セミナー」