なぜエリートは美術館に通うのか?

先が見えないといわれるVUCAの時代、従来の経験や知識、それらに基づいた論理思考、分析のみに頼った発想や思考では限界があり、ビジネスにおいても全体を直感的にとらえることのできる感性や、課題を独自の視点で発見し、創造的に解決する力の重要性が日増しに高まっています。(「ビジネスの限界はアートで越えろ!」増村岳史著)

経営学でも現在最も注目を集めている分野が「センスメイキング」。入山章栄早稲田大学院ビジネススクール(WBS)准教授によれば、センスメイキングは、イノベーションを起こす上で欠かせない条件であり、変化が激しく不確実性の高い現代のリーダーシップに、とくに重要であると述べています。

そんな「センス」「創造力」を養い高めるのにビジネスパースンから注目を集めているのが美術や芸術であるのをご存知の方も多いと思います。アメリカではMBAよりも、「Master of Fine Arts=MFA」(美術学修士)を持っている人材の方が重宝されているそうです。また企業研修の場として美術館に行ったり、ニューヨーク近代美術館の開発したプログラム、Visual Thinking Strategies (VTS)を受ける人も増加しています。

日本においても、デザイン思考の流行や経産省等の提言する「デザイン経営宣言」もあって、デザインやアートに注目が集まっています。
そのため、デザインやアートの出身者を雇用したり、デザイン会社を傘下に持つなどの動きがみられます。そういう中で、私たち一人一人が、「センス」や「創造力」を磨く、「センスメイキング力」を高める必要性があります。そうでなければ、おそらくAIにとってかわられ、ビジネスの世界で生き残ることすら難しくなるかもしれません。

センスメイキングを高めるには

「なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?」にも書かれているように、美術館はビジネスパーソンにとって、単なる趣味の場というばかりでなく、イノベーションに不可欠なセンスを磨き、感性を高めるための場でもあります。
また成功した事業家の中には、美術に関心を持ち、美術収集ばかりでなく美術館を創り社会に還元している人も少なくありません。

ではどうすれば、アートでそういった感性を高めることができるのか?
もちろん第一は、多くのアート作品に触れることです。しかしとりあえず美術館に行く、単に数多くの美術品を眺める、ということを繰り返してもセンスメイキング力がつくとも思えません。

そこでニューヨーク近代美術館で編み出された手法が「対話型鑑賞法」です。対話を通して、自ら考える力、物事から複数の可能性を見出す観察力、事実に基づいて論理的かつ体系的に思考する力など、これからの時代のビジネスパーソンに求められる能力を獲得することができる。そのプログラムが上記のVisual Thinking Strategies (VTS)です。VTSはグループに分かれて、鑑賞した絵について感じたことを話し合うプログラムです。
また、上記の本の著者でもある京都造形芸術大学アート・コミュニケーション研究センター専任講師副所長の岡崎大輔氏は、このVTSをもとに、Art Communication Project(ACOP)という対話鑑賞プログラムを開発し、企業内人材育成・組織開発に応用する取り組みを行っています。

ただこれらのプログラムは、やはりアートや美術鑑賞に詳しいファシリテーターが必要ですし、一人では行えないという欠点があります。

しかし、アート思考のフレームワークを応用すれば、仲間内、慣れれば一人でも、アートを活用して「センスメイキング力」を高めることができるようになります。

アート思考フレームワークを活用してセンスメイキング力を高める手法

2018年の「日本ソーシャルイノベーション学会」で発表したのが「「アート思考」を社会課題に繋げるフレームワークの提案」ですが、その中で、アート思考は「自己言及性」「自省作用(リフレクション)」に特徴があると述べさせていただきました。

つまり上図にあるように、Why、What、Howの階層に分けて、自分自身のWhy(なぜ)の視点から顧客や社会、環境のWhy、What、Howを考えるのが「アート思考」です。

このフレームワークは、そのまま「センスメイキング力」(創造力)を高める美術鑑賞法に応用ができます。

やり方は難しくありません。用意するのもポストイットとペンだけです。

まず、一つのアート作品を対象に、数人でグループを作り話し合うのですが、まず、作品のHow「どのように描かれているか」のみに着目します。
人は「物事を見ているようで実は見ていない」という特性があります。
例えば、有名なレオナルド・ダヴィンチの「モナリザ」。おそらくほとんどの人が、レプリカや美術の本などでこの作品を見たことがあるでしょうし、思い浮かべることができるでしょう。しかし「この絵の背景に橋があるかどうか、ご存知の方はいますか?」という質問に答えられる人はほとんどいないと思います。

このフェーズでは、アートの作品を見ながら、ポストイットで「How」をどんどん出していきます。「モナリザ」で言えば、「こちらを見ている視線」「少しだけ左口角がやや上がっている」「背景に橋が見える」「左手に右手を添える」「構図が3角形」など書けるだけ書いていきます。
そして、続いてWhat(その絵に対して、何を感じたか、どのように解釈するか)について、同じように、ポストイットに書いていきます。(Howとポストイットの色を変えます。)
ここでも「思わず引き込まれる」「謎めいたほほえみ」「聖母のような安心感」といった項目が上がるかと思いますが、ここで必要なのは、必ずこのWhatとHowを結び付けること。もし該当するHowのポストイットがないようでしたら、改めて「この絵のどの部分でそれを感じたか」を考えて、Howをつけ足していきます。

この方法で、対象を細かく観察する癖がつくと同時に、「自分はなぜそのように感じたか」を考える訓練になります。

そしてWhatの項目が十分に出されたら、それをまとめたり、つながりを結んだり「構造化」を行います。その作業をしながら、そこにある意味や課題を見つける。あるいは自分に置き換えてみる。といったことを行います。なぜ(Why)作者はその絵を描いたのか、存在理由や意味、その背景にある社会課題について意見を出し合います。

下図はルネ・マグリットの代表作「光の帝国」で私なりにこの手法でまとめてみた(一部)ものです。

このやり方は、特にアートや美術に詳しいファシリテーターなしでも、仲間内や職場で行うことができますし、少し慣れれば一人でも行うことができますが、センスメイキング力を高める下記のような効果が見込めると思います。

・注意深く観察する癖がつく。
・観察したものの本質がわかるようになる。
・事象の意味を推測できる。
・顧客やユーザの表面に現れない欲求を探知できる。
・観察をもとに定義や理論を創るための訓練ができる。
・自分の内面を覗き見ることができる。
・いわゆる「センス」が身につく。

またどんな美術作品でも対象にして行うことができるので、好きな作品があれば、ぜひそれを使ってやってみることをお勧めします。私の個人的な経験から言うと、上記のマグリットや、ダリのような「シュールレアリスム」の作品が、ワークショップ的には盛り上がって楽しいと思います。
また、最近話題の「スペキュラティブ・デザイン」は、作者自身がその意味や意図するところを公表していることが多いので、特に初心者には向いている作品かと思います。

日本能率協会主催「生成AI時代のアート思考入門セミナー」