「気の流れ」の流れをコントロールする

私たちは「気の流れ」という言葉を使います。
同じようにやっているのに、あるときは、全てが上手く回る。けれども別のときは、全てがうまくいかない。
運の良し悪しは人生全てにおいてつきものですが、「運」という言葉では片付けられない何かがある。あるいは気の流れが、「運」をコントロールしているのではないか?
このような考え方は、昔から国や民族を問わずありました。そして当然ながらどういう場合で気の流れが良くなる、あるいは悪くなるのか知りたいと欲するようになります。
そういう経験則を集めたものの一つが、「風水」であり、また様々な「占い」もそうしたものの一つです。

私たちにとって「気」は、何やらわからないけれども、どうも存在しているように感じる。というもの。
ではもしも、「気」の正体がわかれば、それをコントロールする、うまくいくように取り扱うことも可能になるのではないでしょうか?

実は、「システム思考」を理解すれば、「気」の正体がわかり、コントロールする術がわかるといえば驚きますか?

気が流れるメカニズム

「気」というのは、上にも書いたように、目には見えないけれども、私たちの周りに存在しているようにみえるものです。
代表的なものは、「空気」です。
ところで、空気の流れのことを「風」ということを知らない人はいないと思います。でも風が起こるメカニズムをご存知でしょうか?
私たちは、風を起こそうと、うちわで扇いだり、扇風機やエアコンを使ったりします。でも一生懸命扇ぐと、却って暑くなったり、動力(電力)を使ったりと、風を人為的に起こすのはけっこう大変です。
でも自然界では、だれが操作しているわけではないのに風が吹く、時には嵐や台風のような、大風が起こるときがあります。

空気の流れが起こる、風が起こるメカニズムは、このブログでも度々触れている、大地に雨が集まってやがて大河ができるメカニズムと同じです。
空気はあたたまると軽くなります。すべてが一様にあたたまるときは空気の流れは生じないですが、大地のむらや海流の流れなどで、ムラや不均衡が少しでも生じると、温度の異なる箇所が生まれます。そうすると、まわりよりちょっとでも温かい箇所には、おだやかながらも上昇気流が生じます。

いったん上昇気流が起こり、空気が上に行ってしまうと、その箇所の空気が薄くなりますから、周りから空気が集まってきます。そのようにして風が起こります。

正のフィードバックが気の流れの正体

ここまでは、理科の教科書にも書いてあることですので、ご存知の方も多いと思いますが、実は話はそこで終わりません。

上昇気流で吸い寄せられた空気は、元からあった空気を上へ押し出すという作用を働かせます。つまり上昇気流のスピードが増します。スピードが増すと(飛行機が飛ぶ原理と同じで)浮力が生じ、ますます周りの空気を集めます。そうして集まった空気がまた上昇気流のスピードを上げて、とこのサイクルはどんどん強くなる。つまり正のフィードバック現象(自己強化ループ)が起きて風は吹き続けます。これをループ図で表したのが下図です。
(下図では触れていませんが、温まらない箇所には同じメカニズムで下降気流が起き、高層部で両者はつながって大きな地球対流サイクル(正のフィードバック)を生じさせます。これが高気圧や低気圧(時には台風)が常に存在している理由です)

上昇気流

「気」はシステム思考でコントロールできる

上記では、自然現象について述べましたが、人間関係、つまり社会システムにおいても全く同じことがいえます。
アドラーは「人間の悩みの全ては対人関係である」と述べましたが、あらゆる社会システムも人間関係に帰属するとみていいでしょうし、様々な「課題」も煎じ詰めれば、人間関係の問題に行き着くでしょう。
そして、「関係」とはシステム思考でいうと、要素を人、その繋がりや相互作用を「関係」と表せますが、
「気」を目には見えないけれども私たちの周りに存在しているようで、私たちという物質に影響を及ぼしているもの。つまり要素と要素の間に働く相互作用を「気」という言葉で表してもまったく同じことです。
そして、私たちは気づいている気づいていないもの両方を含めて、様々なフィードバック、自己強化ループ、バランスループに囲まれています。

私たちが「良循環」「悪循環」と呼ぶ自己強化ループ(正のフィードバック)が発生するメカニズムも、自然界と一緒で最初はほんの些細なことからおこります。
普段からループ図を描いて、まわりをシステム思考というフィルターで見ることができる人は、他の人よりも、その発生に気づき、制御することも可能になるでしょう。

私たちの周りをシステムと捉えて制御(コントロール)し課題解決を図ろうとというのが、システム思考ですので、システム思考を理解すれば、「気の流れ」をコントロールすることも決して不可能ではないことでしょう。