Krebs Cycle for Creativity

様々な思考法の中でのアート思考の位置づけを、わかりやすく表しているのが「Krebs Cycle for Creativity」です。

これはMITメディア・ラボ(MIT Media Lab)のNeri Oxman准教授が発表したもので、アート、サイエンス、エンジニアリング、デザインの4つの要素の循環を表したものです。

「Krebs Cycle」とはクエン酸回路のことですが、これは私たち人間や生物の細胞内でエネルギーを生み出す、生命の根幹のサイクルのこと。

この考え方を「創造性(Creativity)」に応用したのが、この「Krebs Cycle for Creativity」で、社会や経済活動の中で創造性が生み出されるシステムが描かれています。

上下が課題の認知と解決。そして左右が創造と分析及び活動の軸となっています。
   
メディア・ラボ元所長の伊藤穰一氏は、「サイエンスは自然の情報をナレッジに変える。エンジニアリングはナレッジを利便性に変えることができる。デザインはそれを社会へ。そしてアートは社会をperception(認知)し、イメージに変えてまた科学へと渡す。」と述べています。

私はセミナーなどでは、「飛行機」の例で説明しています。

人間はずっと昔から「空を自由に飛びたい」という夢を持っていました。これが最初に表現されたのが「アート」です。ギリシャ神話の「イカルスの翼」やその他の様々な作品で「空を飛ぶ」「飛行する」ことが描かれました。

それが実現したのは「サイエンス」の力です。ニュートン力学や流体力学などが「空を飛ぶ原理」を解明しました。
この「サイエンス」が解き明かした「飛行の原理」を「形」にしたのが「エンジニアリング」。さらにその飛行機で「快適な空の旅」を行えるように「デザイン」が施されます。
(これは飛行機やその内装などのデザインの他、CAサービスなどサービスデザインも含まれますね。)

このように現在では私たちは、飛行機という乗り物で空を飛ぶ夢を叶えたわけですが、さらに「もっと自由に空を飛びたい」という夢もあって、例えば「ドラえもん」の「タケコプター」などが漫画やアニメというアートで描かれています。

これももしかすると「ドローン」が進歩すれば実現できるかもしれませんよね。
    
    

    

SEDAモデル

Krebs Cycle for Creativityとほぼ同じフレームワークに、延岡健太郎大阪大学教授が発表した「SEDAモデル(シーダモデル)」があります。
   
    

SEDAモデル

   
   
描かれている内容自体は、左右が逆になっているのを除けば、「Krebs Cycle for Creativity」とまったく同じです。
SEDAモデルは、「製品(商品)開発のためのフレームワーク」で、イノベーティブな製品開発に活用することができます。

イノベーティブな製品開発のためには、単に最先端の技術を使えば良いわけではなく、顧客のための機能的価値(カタログ価値、仕様・スペック)に加え、意味的価値(ソリューション価値、使用・経験価値)の両方の価値に訴える必要があります。特に昨今は後者の重要度が増しています。
    
    

機能的価値と意味的価値

    
   
   
上図のように「機能的価値+意味的価値」からコスト(原材料費)を差し引いたのが「付加価値」です。

この両方の「価値」を伸ばしてビジネスを拡大させている企業の代表格が、コンシューマ向け(BtoC)企業ではAppleです。企業向け(BtoB)製品を開発している企業ではキーエンスがあります。

これらの企業のようになるためには、機能的価値だけでなく自社製品の意味的価値を考える必要があります。例えば顧客や顧客企業のニーズを見極め、使い心地や顧客企業の利益への貢献など、仕様やスペックを超えた価値を提供する必要があります。

このことに活用されるのが、「デザイン思考」です。

ただし、デザイン会社や(請負型の)システム会社など、顧客ごと案件ごとに詳しい仕様(カスタマイズ)が定められるビジネスであれば、お客様のニーズをインタビューや関与観察などで詳しく掘り下げることができますが、そのほかの企業では、多くのお客様に、一つの製品やサービスを販売する必要があります。

この考え方が「マス・カスタマイゼーション」で、多数のお客様が「自分のためにカスタマイズされた製品」と感じる製品やサービスを創らなければいけません。
   
    

マス・カスタマイゼーション

 
   
普通は、左上の多くの顧客を対象にした「コモディティ商品」(安いコストで大量生産ができるが、顧客価値は低い)か、右下のごく少数の顧客への「カスタマイズ商品」(顧客価値は高いが、コストは高く少量しか生産できない)のどちらかになり、利益も限られます。

右上の領域であれば、コストを抑えて大量生産ができ、かつ顧客価値(付加価値)も高いものができる。
これが「マス・カスタマイゼーション」の原理です。

そのためには、顧客のニーズをそのまま製品に取り入れる(カスタマイズ)するのではなく、顧客の想定を超えた「意味的価値」を加える必要があります。

つまり、ニーズの掘り下げをおこなうだけではなく、他の顧客も「これは欲しい!」と思ってもらえるような今までにない「価値の探索」が必要です。

もちろん簡単にできることでは有りませんが、逆に言えば、もしそのような製品やサービスができれば、参入障壁も高く、長期間に渡って高い利益も上げることもできるようになる、とも言えます。

SEDAモデルでは、この機能的価値と意味的価値をわけるとともに、価値の探索と深化を区分しています。

「価値の深化」は既存の知識をより深掘りして、顧客の課題解決を行うことです。
既存の技術を使い機能的な価値を提供するのが「エンジニアリング」、意匠(狭義のデザイン)や使いやすさなど顧客が五感で感じるニーズに対応した問題解決をおこなうのが「デザイン」です。

価値の深化に対して、イノベーション分野で特に最近注目されているのが「価値の探索」です。

経営学の分野でもスタンフォード大学経営大学院教授のチャールズ・オライリー氏と、ハーバード・ビジネススクール教授のマイケル・タッシュマン氏が発表した「両利きの経営」が注目されているように、「価値の探索」「価値の深化」両方を追求するべきというのが、最近言われていることです。

顧客の想定を超えた革新性を技術でもたらすのが「サイエンス」で、商品のコンセプトや哲学の革新性で表現するのが「アート」になります。

したがって、アート思考では、まったく新しい技術の考え方と方法で、顧客企業の期待以上の成果を達成する革新的なソリューションを提供することが期待されています。
 
 
参考文献および引用
アート思考のものづくり(延岡健太郎著 日経BP日本経済新聞出版本部 2021年)
キーエンス 高付加価値経営の論理 顧客利益最大化のイノベーション(延岡健太郎著 日経BP日本経済新聞出版本部 2023年)
 


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