誰もが夢を実現できる社会
人が幸せかどうか、いろいろな意見や解釈があると思いますが、自分のやりたいこと、夢をかなえたり、目標を達成することが、幸せにつながる重要な要素であるのは、おそらく間違いないと思います。
そして一人ひとりが、誰もが夢を実現できる社会をつくる。その一助になることが、このサイトの大きな目的です。
自己啓発セミナーは役立たない?
夢をかなえる、とか、目標を達成する、想いを実現させる、ということが多くの人にとって大事なことであるのは」、この手のテーマで多くの自己啓発本や自己啓発セミナー、講座が開かれていることからもわかります。
それらの内容の多くは、「マインドが大事である」と説き、「願望を強く想う」「成功している姿をイメージ化する」「強く願ったこと(思考)は実現する(現実化する)」としています。その上で、成功をイメージする方法などのテクニックを教えてくれるそうです。
成功するためには、目標を常にもつ必要があることに、もちろん異論はありません。東京駅に行きたくて、電車に乗るのに、行き先を全く見ないで、ただ目の前に来た電車にのっても、東京駅には行けないことくらい子供でも知っています。
そもそも「夢がある」「やりたいことがある」「なりたい自分がいる」という時点で、その人は、すでに目標を持っているし、イメージしているしているのではないでしょうか?
「成功者は皆、成功する姿をイメージしてきた」といいますが、当たり前のことを言っているにすぎないのではないでしょうか?
しかし、現実には、成功する人、成功できない人がいるのが事実です。
その差を、自己啓発本やセミナーでは、「それは「想いの強さ(マインド)」が足りないから」「うまくイメージできなかったから」と言います。
そして必ずと言っていいほど、「引き寄せの法則」を持ち出します。
「これは宇宙に流れる法則である」とまで言う人もいます。
物理の世界でも、宇宙全体に適用される法則はそれほど多くはありません。
ニュートンの法則(いわゆる万有引力の法則等)とか、相対性理論のE=mc^2とか、電磁気学の法則、量子力学の不確定性原理とかシュレーディンガー方程式くらいでしょうか。
「引き寄せの法則」はこれらのものと並ぶと言ってもよいのでしょうか?
中世暗黒時代並みの科学知識の自己啓発
古代ギリシャ時代、自由な市民社会の中で、科学や哲学などが発展したことは多くの人がご存知のとおりです。紀元前、すでに地球が丸いことは知られており、複雑な惑星の動きもプトレマイオスによってかなり正確に計算されていまいた。
しかし、キリスト教が国教となり、ローマ教皇が最高権力を握るようになると、科学の動きは一切止まり、コペルニクスやガリレイが出るまで、ヨーロッパは1000年にも及ぶいわゆる中世暗黒時代に入ります。
しかし、複雑なプトレマイオスの計算式を再分析し、太陽を中心に考えたほうがシンプルな姿になると気づいたコペルニクスは死ぬまで地動説のことを明かさなかったと言われていますし、ガリレイが宗教裁判にかけられ、自説を撤回させられて、「それでも地球は動いている」と呟いた逸話も有名ですね。
ルネッサンス時代以降、宗教と科学が分離しその後のヨーロッパ科学文明が花開いたのは、17世紀になってからのことです。
なぜここで、宗教の話を持ち出したかというと、「引き寄せの法則」は宗教だからです。
この引き寄せの法則は、19世紀なかばから米国で広がった、キリスト教の異端宗派「ニューソート」の教義です。(「異端」というのはニューソート派が三位一体を取っていないことから(主流派から)言われています。)
宗教だから間違っているとか、宗教だからいけない。という意味ではありません。純粋に心の問題、あるいは神と人間の関係において、真理を追求することの大切さも理解しているつもりです。
しかし宗教の教えを世俗的な「成功」だったり人間関係の諸問題に持ち込むことは、この21世紀の社会ではどうなのでしょうか?
宇宙が拡大していることを最初に発見した物理学者であり、熱心な修道士でもあるジョルジュ・ルメートルは、1951年にローマ教皇ピウス12世がビックバン理論は創世記の記述(光あれ)を裏付けているという公式声明を発表した際に、すぐに教皇庁の科学顧問に連絡を取って、神による世界の創造とビックバンの関係について今後一切公の場で言及しないよう伝えました。「科学と信仰をこのような形で混同してはいけない。聖書は物理学について何も知らないし、物理学は神について何も知らない」。ピウス12世はルメートルの説得を入れ、2度とこの件については触れませんでした。
主流のカトリックが正しくて、異端だから間違っているというつもりもありません。ノストラダムスや終末論に揺れた20世紀末も過ぎて10年以上にもなる現在。中世暗黒時代に戻る必要はどこにもありません。そろそろ「引き寄せの法則」は、もういいんじゃないでしょうか?
システム思考は「目標に到達する技術」
成功をイメージして行動すると、実際に成功しやすくなるのは、「経路依存性」という性質であることは、システム思考で合理的に説明できます。そして、経路依存性が、どういう条件で働くのか、あるいは働かないのかも、やはり説明ができます。(下図)
鍵は、フィードバックです。夢がかなう、全てがうまくいくような状態。特に力まなくても周りの流れがうまくいく状態というのは、正のフィードバック(自己強化型ループ)が回っている状態を言います。
ミサイルに例えると、ミサイルのロケットエンジン、エンジンを動かすには、一度その燃料に火をつける、という作業が必要で、それには点火装置を作動させなければいけません。
しかし一度火がつけば、その火が新たな燃料を熱し、また次の燃料に火がつく。その繰り返しがおきます。飛行中は点火装置を働かせなくても、燃料さえ送り込めば、ミサイルはどこまでも加速し続けることができます。
しかし自然界や世の中は、正のフィードバックばかりではなく、負のフィードバックも存在します。ロケットエンジンの場合、燃料の上限という制約があり、これが負のフィードバック(バランス型ループ)を形成しています。
ミサイルを飛ばすときは、正のフィードバック(自己強化型ループ)を回すことを考えるのはもちろんですが、負のフィードバック(バランス型ループ)が回るのをいかに抑えるかが、重要になります。例えば十分な燃料を積む、燃焼効率をよくするなどは、この負のフィードバックループを抑える施策です。
このように述べると、正のフィードバックが良くて、負のフィードバックは悪いものと捉える人もいるかもしれませんが、このミサイルを正しく目的まで飛ばすには、負のフィードバックの作用が必要です。
ミサイルのような科学技術分野ばかりでなく、自然のシステム、そして私たちが属している社会とおいううシステムにおいても、様々なフィードバックがまわっていることに気が付きますが、これらの存在を正しく認識し制御することにより、夢を叶えたり、課題を解決しようというのがシステム思考です。
ちなみに、なんでミサイルを例に例えたかというと、別に北朝鮮云々の社会情勢を忖度したわけではなく、もともとシステム思考やシステム・ダイナミクスは、第二次大戦中の、ミサイルや高射砲の弾丸をいかに標的にあてるかという研究から始まったからです。
この高射砲の自動追尾装置(サーボ機構)を開発し、戦後米ソ冷戦時代に全米防御システムの開発を担当したMITのジェイ・フォレスターが、この技術を経営に活かそうと開発したのがインダストリアル・ダイナミクスで、これが経営だけでなく、都市問題や地球環境問題の解決手段として、システム・ダイナミクス、システム思考が生まれました。
中世暗黒時代のような考えを広めるのはもうやめにしませんか?
人間は、自分の考えをこえる複雑な事象に出会うと、それは神の意思や仕業と考え、それに必死に祈ることをするようになります。例えば農業にとってもっとも重要な天候は、神が決めるものと考えられたので、豊穣の祈りを行い、それが今日の祭りや儀式の起源です。
しかし、今日では、天候は太陽や地球メカニズムなど「物理や科学の分野」であり、予測することも可能になりました。
もちろん、祭りや宗教の文化的、あるいは精神的な意義について、その重要性は決してなくなりません。また個人として夢をかなえる、とか目標を達成することを、例えば神社や教会などで祈るのは、自分自身と向き合う、心を整理するなど様々な意義があることだと思います。私も毎年初詣に行きますし、神社の近くを通ったときは参拝します。
人間は様々な欲求を持っていますが、21世紀の現在、物理や化学を活用した様々な機械などの便利なもの、以前は祈祷という手段しかなかった医療分野でも正しい治療法や薬が普及しました。夢をかなえる、あるいは課題解決導く考えは、システム思考が唯一のものではありませんが、これも様々な手法が開発されています。
「引き寄せの法則」に代表される宗教行為を、それが何か科学の法則のようなものであると、本や講座などで(しかもお金を取って)、「夢を叶えたい」「対人関係の問題を解決したい」というひとに広めるのは、そろそろやめにしてもいいんじゃないでしょうか?と思う今日このごろです。